筑紫の末羅県の玉島里

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筑紫の末羅県の玉島里

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原文

また筑紫の末羅県(マツラノアガタ)の玉島里(タマシマノサト)に到りまして、その河の辺に御食したまひし時、四月の上旬に当たりき。ここにその河中の礒に坐して、御裳(ミモ)の糸を抜き取り、飯粒(イイボ)を餌にしてその河の年魚(アユ)を釣りたまひき。その河の名を小河と謂ふ。またその礒の名を勝門比売(カチトヒメ)と謂ふ。かれ、四月の上旬の時、女人裳の糸を抜き、粒(イヒボ)を餌にして年魚(アユ)を釣ること、今に至るまで絶えず。

現代文訳

筑紫の松浦県(マツラノアガタ)の玉島里(タマシノサト)に到着して、川のほとりで食事をしたのが4月の上旬でした。

皇后は川の岩に立って、腰布の糸を抜き、ご飯粒を餌にして、鮎を釣りました。

それでその川を「小河」といいます。
またその岩の名前を勝門比売(カチトヒメ)といいます。

それで4月上旬のころ、女性が腰布の糸を抜いて、ご飯粒を餌にして鮎を釣ることが、絶えず行われています。
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解説

戦争に勝利した神功皇后は、筑紫の河でご飯を食べていると、突然、腰布の糸を抜いて、ご飯粒で鮎を釣りました。

なんというか、雄雄しいというか、全然女性らしくないです。腕白坊主というか。

4月の上旬に鮎を釣る
この風習は九州にもともとあったものを物語りにはめ込んだ模様。つまり、誰もが知っている風習だったのでしょう。へぇ、あれって神功皇后由来の風習なんだ!と思わせたかったか、実際に由来していたか。
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