海原の魚、大小きを問はず悉に御船を負ひて渡りき

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海原の魚、大小きを問はず悉に御船を負ひて渡りき

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原文

かれ、備(ツブサ)に教へ覚したまひし如くして、軍を整へ船双(ナ)めて度り幸しし時、海原の魚、大小きを問はず悉に御船を負ひて渡りき。ここに順風(オイカゼ)大く起りて、御船浪の従(マニマ)にゆきつ。

現代文訳

そこで皇后は神が教えた通りにして、軍勢を集めて、船を並べて海を渡りました。

海の魚達は大きいものも小さいものも皆、皇后の船を背負いました。

また強い追い風が吹いて、船はどんどんと進みました。

解説

主役は皇后に
もともと仲哀天皇の影は薄かったですが、完全に主役交代。皇后が「軍隊」を集め、船を進めます。皇后にそれだけの権力があるのかと驚きます。

ちなみに日本書紀では神功皇后は「卑弥呼」と書かれています。実際のところがどうか分かりません。でも、旦那が死んだからって奥さんにこれだけの権力が移るのもどうかと思いますから、あながち、とも思います。

その一方で日本の古代は女系で氏族のトップが女性ということもありました。また巫女は女性で、沙庭が男性なら、一般人から見れば、巫女が神。女性の権力が強いのも分からないでもない。

魚が船を背負って進む
なんてファンタジーな表現でしょうか。神の支持によって始められた戦争。魚達も神功皇后を手助けします。「自然=神」なのでしょう。

神の正体は住吉三神でした。住吉三神は海の神です。大坂の住之江地域の豪族の氏神だったようです。つまり、朝鮮半島と大阪を結ぶ海運を生業としていた氏族の氏神です。

九州で神託を受けて、朝鮮半島へ侵略するのであれば、この神は「宗像三女神」でよかった。それで十分だった。でも住吉三神ということは、この物語は、「貿易」という側面があると思います。朝鮮の新羅から瀬戸内海を抜けて、日本の大阪。このルートが貿易ルートだったんでしょう。

朝鮮征伐に住江の氏族が中心的役割を担ったから、住吉三神が出てきたのだと考えられています。
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