忍熊王の反逆

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忍熊王の反逆

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原文

ここに息長帯日売命、倭に還り上ります時、人の心疑はしきによりて、喪船(モフネ)を一つ具へて御子をその喪船に載せて、まづ「御子は既に崩(カムアガ)りましぬ」と言ひ漏らさしめたまひき。かく上り幸す時、香坂王(カゴサカノミコ)・忍熊王(オシクマノミコ)聞きて、待ち取らむと思ひて、斗賀野(トガノ)に進み出でてうけひ獦をしき。

現代文訳

オキナガタラシヒメは大和へと帰ろうとしました。
しかし、誰かが謀反の企てをしているかもしれない、と考えました。

そこで、棺を乗せた船を用意して、ホンダワケ(応神天皇)をその船に乗せて、

「皇子は亡くなりました」
と言い伝えました。

そうして大和へと進むと、香坂王(カゴサカノミコ)・忍熊王(オシクマノミコ)がホンダワケ皇子の死と皇后の帰国をを知り、待ち伏せして皇后を殺そうと考えました。

それで斗賀野(トガノ)で、戦争の吉兆を狩によって占う「誓約狩(ウケイガリ)」をしました。
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解説

ヒロインか、それとも
戦争し、勝利した皇后。本来はヒーローのはず。ところが、帰国を知ったホンダワケの異母兄弟である香坂王(カゴサカノミコ)・忍熊王(オシクマノミコ)が、その命を狙ってきます。

異母兄弟
この2柱は景行天皇の子供のオオエ王の孫。つまり景行天皇から見ると曾孫にあたります。なおかつ仲哀天皇の子供です。
参考:迦具漏比売命から大中比売命へ 穴門の豊浦、筑紫の訶志比宮

個人的コラム

悲劇のヒロインか、稀代の悪女か
仲哀天皇の子供ホンダワケ。しかし、その出産には異常な面があります。神話の中の設定とはいえ、出産が遅い。ホンダワケの父親は本当に仲哀天皇なのでしょうか??

これは議論する価値があるかどうか?
まぁ面白いネタですよね。

そんなことより
日本の英雄像について

ヤマトタケルは、景行天皇に邪険にされました。クマソをうち、イズモをうち、帰るとすぐに東国へと出征します。そして大和に帰ることなく息吹山の神の呪いで死にました。

神功皇后も似たところがあります。新羅征伐し、朝鮮半島の国々は日本に貢物を持ってくるようになりました。それは神功皇后の手柄です。それが、帰国すると、待ち伏せされ、戦争に突入です。

結局神功皇后はそれらを打ち破りますが、どこか悲劇的な、愛の無いものを感じます。それが日本のヒーロー像の形なのかもしれません。

別の理由
個人的には神功皇后の帰国後は神武東征に近いものを感じます。神武東征には「畿内」に海(九州)の向こうから「神(=神武天皇)」が来るという「ニライカナイ型」の自然観があります。皇后もホンダワケの異母兄弟を打ち倒して大和に凱旋する経緯は、九州→畿内という図式が成り立っています。
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