御笠と安の地名説話と田油津媛

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神功皇后(四)御笠と安の地名説話と田油津媛

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原文

戊子、皇后、欲擊熊鷲而自橿日宮遷于松峽宮。時、飄風忽起、御笠墮風、故時人號其處曰御笠也。辛卯、至層増岐野、卽舉兵擊羽白熊鷲而滅之。謂左右曰「取得熊鷲、我心則安。」故號其處曰安也。丙申、轉至山門縣、則誅土蜘蛛田油津媛。時、田油津媛之兄夏羽、興軍而迎來、然聞其妹被誅而逃之。

現代語訳

仲哀天皇即位9年3月)17日に皇后は熊鷲(クマワシ)を撃とうと思い、橿日宮(カシヒノミヤ)から松峽宮(マツオノミヤ=現在の福岡県朝倉軍三輪町粟田)に移りました。そのときに飄風(ツムジカゼ)がたちまち起こって御笠(ミカサ)が落とされました。そこでその時代の人はその場所を御笠(ミカサ)と呼んでいました。

20日に層増岐野(ソソキノ=地名・未詳)に到着して、すぐに兵をあげて羽白熊鷲(ハシロクマワシ)を撃って殺しました。
左右(モトコヒト=天皇のそばに使える人)は言いました。
「熊鷲を取ることができました。私の心はやっと安らかになりました」
それでその場所を安(ヤス=筑前国夜須郡=現在の福岡県朝倉郡北部と甘木市)と言います。

25日移動して山門県(ヤマトノアガタ=筑後国山門郡=現在の福岡県山門郡)へと到着しました。そこで土蜘蛛の田油津媛(タブラツヒメ)を誅殺しました。そのときに田油津媛(タブラツヒメ)の兄の夏羽(ナツハ)が軍を起こして迎えに来ました。しかし、妹が誅殺されたことを聞き、逃げました。
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解説

土蜘蛛の田油津媛
土蜘蛛のタブラツヒメ、ということはここでも「集団のボス」は女ということです。タブラは「誑(タブラ)かす」のタブラと同義ではないかと思われます。現代語っぽく言うと「嘘つき姫」ってところでしょうか。小悪魔という言い方もあるかもしれないです。
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