沙麼縣主の祖先の内避高國避高松屋種に神が

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神功皇后(十三)沙麼縣主の祖先の内避高国避高松屋種に神が

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原文

一云、足仲彦天皇、居筑紫橿日宮。是有神、託沙麼縣主祖內避高国避高松屋種、以誨天皇曰「御孫尊也、若欲得国耶、將現授之。」便復曰「琴將來以進于皇后。」則隨神言而皇后撫琴。於是、神託皇后、以誨之曰「今御孫尊所望之国、譬如鹿角、以無實国也。其今御孫尊所御之船及穴戸直踐立所貢之水田、名大田爲幣、能祭我者、則如美女之睩而金銀多之眼炎国、以授御孫尊。」時天皇對神曰「其雖神何謾語耶、何處將有国。且朕所乘船、既奉於神、朕乘曷船。然未知誰神、願欲知其名。」

現代語訳

ある書によると…
足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト仲哀天皇)は筑紫の橿日宮(カシヒノミヤ)に居ました。ここに神が現れて、沙麼縣主(サバノアガタヌシ)の祖先の内避高国避高松屋種(ウチツヒコクニツヒコマツヤタネ)に神がかって、天皇に教えて言いました。
「御孫尊(ミマノミコト=天孫=ここでは仲哀天皇のこと)が、もし宝の国(=朝鮮半島もしくは新羅)を得たいと思うのならば、現実に授けよう」
また(神が)言いました。
「琴を持って来て、皇后に渡せ」
すぐに神の言葉に従って、皇后は琴を弾きました。すると神は皇后に神がかり、教え言いました。
「今、御孫尊の所望した国は例えば鹿の角のようなものだ。無実(ウツケ)の国だ。御孫尊が持つ船、それと穴戸直踐立(アナトノアタイノホムラタチ)が献上した水田(コナタ)…名を大田(オオタ)…を幣(マヒ=供えもの)として、よく私(=神)を祀れば、美女(オトメ)の睩(マヨビキ=眼差しとか目配せとか瞬きとか)のように黄金・銀がたくさんある、眼炎(マカカヤク)国を御孫尊に授けよう」
天皇は神に答えて言いました。
「それ神といっても、どうして欺こうとするのか? どこにそんな国があるというのか? また私が乗る船を神に奉ってしまったら、わたしはどの船に乗ればいいのか? そもそもまだどこの神ということもわからない。願わくはその名を教えて欲しいものです」
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解説

ある書
神代では見られた「一書」がここで登場。ということは神功皇后の政治関与の経緯には異説があるということであり、大和朝廷としても史実ともなんとも言えない部分があるということです。
本伝は「仲哀天皇(十)眼炎の金・銀・彩色が栲衾新羅国」です。
神が降りるのは皇后ではなく松屋種
まず、本伝では皇后にいきなり神がかっていますが、ここでは内避高国避高松屋種(ウチツヒコクニツヒコマツヤタネ)がまず神がかって、そこから神功皇后にバトンタッチという形を取っています。
これは朝鮮半島進出を現在の山口県・福岡県の氏族が望んだということでしょう。沙麼縣主(サバノアガタヌシ)の「サバ」という地名は「仲哀天皇(七)筑紫の岡県主の祖先の熊鰐」に登場します。どうやら関門海峡近辺の氏族で、現在の岡山県(吉備)や大阪、そこから大和を抜けて伊勢から東国という貿易ルートで利益を得ていたのでしょう。ここに朝鮮半島から中国と中国東北の民族との貿易を始めれば更に巨万の富を得られます。これが松屋種に神が降りた「理由」でしょう。
朝鮮半島の評価
朝鮮半島は鉄鉱石の取れる土地です。そこを得ることが大和朝廷が朝鮮半島進出した理由、というのがよくある説です。しかし魏志倭人伝を見ると、半島南部は倭人が住んでおり、鉄鉱石は倭人(日本人)・韓人(朝鮮人)・漢人(中国人)がそれぞれ取っていたと書いてあるように、今更、朝鮮半島を得る理由は薄いのです。

ここで神は朝鮮半島の事を「鹿の角のようなものだ。無実(ウツケ)の国だ。」と評価しています。鹿の角は空洞になっている……つまり実態の無い、中身の無い国と言っているのです。これは「第九段本文―8吾田の長屋の笠狭の岬へ」などで「膂宍(ソシシ)の空国(ムナクニ)」と描かれているのと同じです。ソシシは背中の肉、背中の肉は食べるところが少ないので貧しいという意味で、空は当然「むなしい」という意味です。つまり朝鮮半島は空っぽだと言っています。しかし「鹿の角のようなもの」ということは角は食べられなくても、その先の本体である「鹿」にはたっぷりと食べるところがあるという意味でもあります。つまり、古代の日本にとって朝鮮は、「貧しく何も無い土地だが、中国や中国東北の異民族との貿易をするために必要だ」という認識だった、ということかもしれません。そういう意味で「朝鮮半島は金銀の宝の国」と評価されていたのかも。

しかし、朝鮮半島に進出することで得るものがあるとしても、それはこの時点では不確定なことです。仲哀天皇は当時文化の流入口だった九州南部の攻略を求めた。それに対して九州北部や山口県の関門海峡の氏族は「朝鮮半島進出」を求めた。その結果が、神功皇后の擁立だったのでしょう。
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