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神功皇后(三十六)親交を結ぶ百済国は天から授かった土地
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五十一年春三月、百濟王亦遣久氐朝貢。於是、皇太后語太子及武內宿禰曰「朕所交親百濟国者、是天所致、非由人故。玩好珍物、先所未有。不闕歲時、常來貢獻、朕省此款、毎用喜焉。如朕存時、敦加恩惠。」
現代語訳
即位51年春3月。百済王がまた久氐(クテイ)を派遣して朝貢しました。皇太后は、太子(=のちの応神天皇)、武内宿禰(タケノウチノスクネ)に語りました。
「わたしが親交を結ぶ百済国は天から授かった土地です。人によるものではない。玩好(モテアソビモノ)、珍しいもの、以前は無かった土地です。歳をおかずに常に日本に来て朝貢する。わたしはこのことを見ると、いつも嬉しい。わたしが存命のときのように、(百済を)厚く礼を持って迎えなさい」
「わたしが親交を結ぶ百済国は天から授かった土地です。人によるものではない。玩好(モテアソビモノ)、珍しいもの、以前は無かった土地です。歳をおかずに常に日本に来て朝貢する。わたしはこのことを見ると、いつも嬉しい。わたしが存命のときのように、(百済を)厚く礼を持って迎えなさい」
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解説
「百済は天から与えられたもの」というのは、神のお告げのままに朝鮮半島へと進出した経緯のことを指していると思われます。
このページの内容は前のページ(神功皇后(三十五)天朝の鴻澤は遠い邑にも)と主旨が似ています。
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神功皇后(日本書紀)の表紙へ
- Page32 神功皇后(三十二)誰を百済に派遣し虚実を調べよう
- Page33 神功皇后(三十三)比自㶱・南加羅・㖨国・安羅・多羅・卓淳・加羅七国を平定
- Page34 神功皇后(三十四)常に西蕃と称し、春秋には朝貢しましょう
- Page35 神功皇后(三十五)天朝の鴻澤は遠い邑にも
- Page36 神功皇后(三十六)親交を結ぶ百済国は天から授かった土地
- Page37 神功皇后(三十七)聖王は上にその輝きは日月のよう。臣は下に固い山岳のよう
- Page38 神功皇后(三十八)七枝刀、七子鏡、および種々の重宝を献上
- Page39 神功皇后(三十九)沙至比跪と美女、その死の経緯
- Page40 神功皇后(四十)倭の女王は訳を何度もして貢献しました。
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