天武天皇(八十二)薬師寺を建立・恵妙僧の死・臘子鳥が空を隠す

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天武天皇(八十二)薬師寺を建立・恵妙僧の死・臘子鳥が空を隠す

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原文

辛巳、雷於西方。癸未、皇后體不豫。則爲皇后誓願之、初興藥師寺、仍度一百僧。由是、得安平。是日、赦罪。丁亥、月蝕。遣草壁皇子、訊惠妙僧之病。明日、惠妙僧終、乃遣三皇子而弔之。乙未、新羅遣沙飡金若弼・大奈末金原升進調、則習言者三人從若弼至。丁酉、天皇病之。因以度一百僧、俄而愈之。辛丑、臘子鳥蔽天自東南飛以度西北。

現代語訳

(即位9年)11月10日。西の方で雷が鳴りました。
11月12日。皇后は体を病みました。すぐに皇后のために、誓願(チカイ)をして、初めて薬師寺を立てました。100人の僧を出家させました。それで平安になりました。この日に罪人を許しました。
11月16日。月蝕がありました。草壁皇子を派遣して、恵妙僧(エミョウホウシ)の病気を問い尋ねさせました。翌日、恵妙僧は亡くなりました。すぐに3人の皇子を派遣して弔いをしました。
11月24日。新羅の沙飡(ササン=新羅の官位の名前)の金若弼(キンニャクヒツ)・大奈末(ダイナマ=新羅の官位の名前)の金原升(キンゲンショウ)を派遣して、調(ミツキ)を献上しました。習言者(コトナライヒト)が三人、若弼(ニャクヒツ)に従って来ました。
11月26日。天皇は病気になりました。100人の僧を出家させました。しばらくして癒えました。
11月30日。臘子鳥(アトリ=渡り鳥の一種)が天を隠して、東南から飛び、西北に渡りました。
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解説

恵妙
恵妙という名前はすでに出ているんですが、注釈で「唐で死んだ」という記述もあるので、同名の別人なのかも。でも、死んだことを特別に記述して、皇子3人を弔いに送るってことは、かなりの重鎮だと考えた方が自然。となると、どーなんでしょうね。

臘子鳥(アトリ)
アトリはすでに出ています。この時はアトリが大群で移動した後、筑紫で地震がありました。
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