天武天皇(七十八)二十四寺に贈る・秦造綱手と星川臣摩呂の死

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天武天皇(七十八)二十四寺に贈る・秦造綱手と星川臣摩呂の死

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原文

五月乙亥朔、勅、絁綿絲布以施于京內廿四寺各有差。是日、始說金光明經于宮中及諸寺。丁亥、高麗遣南部大使卯問・西部大兄俊德等朝貢、仍新羅遣大奈末考那、送高麗使人卯問等於筑紫。乙未、小錦下秦造綱手卒、由壬申年之功贈大錦上位。辛丑、小錦中星川臣摩呂卒、以壬申年之功贈大紫位。六月甲辰朔戊申、新羅客項那等歸国。辛亥、灰零。丁巳、雷電之甚也。

現代語訳

(即位9年)5月1日。勅(ミコトノリ)して、絁(フトギヌ)・綿(ワタ)・絲(イト)・布(ヌノ)を京(ミヤコ)の中の24寺に送りました。それぞれに品がありました。この日に初めて、金光明経(コンコウミョウギョウ)を宮中と諸々の寺に説かせました。
5月13日。高麗は南部(ナムホウ=高麗の地域の名前)の大使の卯問(モウモン)・西部(サイホウ)の大兄(ダイキョウ=高麗の官位の名前)の俊徳(シュントク)たちを派遣して朝貢しました。それで新羅は大奈末(ダイナマ=新羅の官位の名前)の考那(コウナ)を派遣して、高麗の使者の卯問(モウモン)たちを筑紫に送迎しました。
5月21日。小錦下の秦造綱手(ハダノミヤツコツナデ)が亡くなりました。壬申の年の功績によって、大錦上位を贈りました。
5月27日。小錦中の星川臣摩呂(ホシカワノオミマロ)が亡くなりました。壬申の年の功績によって、大紫位を贈りました。
6月5日。新羅の客人の項那(コウナ)たちが国へ帰りました。
6月8日。灰が降りました。
6月14日。雷電(イナツルビ)がひどく鳴りました。
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解説

金光明経
金光明経は護国のためのお経の一つとされます。
天武天皇は臣下や王たちに「武器を準備しとけよ」と散々、言っています。この金光明経と考えると、危機意識は非常に強かったようです。
灰が降りました
火山が噴火したのでしょうか。
どこかで火事があったのか。
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