天武天皇(七十五)忌部首首に連姓を・活田村で桃李

MENU
TOP>天武天皇(日本書紀29)>天武天皇(七十五)忌部首首に連姓を・活田村で桃李
スポンサードリンク

天武天皇(七十五)忌部首首に連姓を・活田村で桃李

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

九年春正月丁丑朔甲申、天皇、御于向小殿而宴王卿於大殿之庭。是日、忌部首首賜姓曰連、則與弟色弗共悅拜。癸巳、親王以下至于小建、射南門。丙申、攝津国言、活田村桃李實也。

現代語訳

即位9年春1月8日。天皇は向小殿(ムカイノコアンドノ)に居て、王卿(オオキミマヘツキミ=王族と臣下)に大殿(オオアンドノ)の庭で宴会しました。この日に忌部首首(イミベノオビトコビト)に姓を与えて、連(ムラジ)と言うようになりました。弟の色弗(シコブチ)と共に喜び、拝礼しました。
1月17日。親王より下、小建(ショウコン)までの人で、南門で弓を射る儀式をしました。
1月20日。摂津国は言いました。
「活田村(イクタノムラ=摂津国八部郡生田郷=現在の兵庫県神戸市生田区)に桃李(モモ)の実が成りました。
スポンサードリンク

解説

忌部首首(イミベノオビトコビト)
壬申の乱で活躍した忌部首子人(イミベノオビトコビト)と同一人物じゃないかと思います。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集