天武天皇(七十二)迹驚淵の宴会・縵造忍勝の稲

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天武天皇(七十二)迹驚淵の宴会・縵造忍勝の稲

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原文

六月庚戌朔、氷零、大如桃子。壬申、雩。乙亥、大錦上大伴杜屋連、卒。秋七月己卯朔甲申、雩。壬辰、祭廣瀬龍田神。乙未、四位葛城王卒。八月己酉朔、詔曰、諸氏貢女人。己未、幸泊瀬、以宴迹驚淵上。先是、詔王卿曰「乘馬之外、更設細馬、以隨召出之。」卽自泊瀬還宮之日、看群卿儲細馬於迹見驛家道頭、皆令馳走。庚午、縵造忍勝、獻嘉禾、異畝同頴。癸酉、大宅王卒。

現代語訳

(即位8年)6月1日。氷零(=雹【ヒョウ】だと思われます)が降りました。大きさは桃の実のようでした。
6月23日。雨乞いをしました。
6月26日。大錦上の大伴杜屋連(オオトモノモリヤノムラジ)が亡くなりました。

秋7月6日。雨乞いをしました。
7月14日。広瀬・竜田の神を祭りました。
7月17日。四位の葛城王(カズラキノオオキミ)が亡くなりました。

8月1日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「諸々の氏族は、女を献上しなさい」
8月11日。泊瀬(ハツセ=奈良県桜井市初瀬)に行き、迹驚淵(トドロキノフチ)の上で宴(トヨノアカリ=宴会)をしました。これ以前に、王卿(オオキミマヘツキミ=王族と臣下)に詔して言いました。
「乗馬(ノリウマ=乗る馬)とは別に、細馬(ヨキウマ=良馬)を提出しなさい」
泊瀬から宮に帰る日に、群卿(マヘツキミタチ=臣下たち)が蓄えていた細馬(ヨキウマ)を、迹見駅家(トミノウマヤ=奈良県桜井市外山)の道のほとりで見て、皆、走らせました。
8月22日。縵造忍勝(カズラノミヤツコオシカツ)が嘉禾(ヨキイネ=不思議な稲)を献上しました。畝が違っていて、稲穂が一緒になっていました。
8月25日。大宅王(オオヤケノオオキミ)が亡くなりました。
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解説

嘉禾
中国の考えで「連理木」とか「連理の賢木」というのがあります。これは、2本の木が合体して癒合したもので、これが見られると「吉兆」とされます。日本書紀にはちょくちょく見られます。
ここは連理の木の「稲版」ですね。
細馬の提出
氏族に馬を提出させています。
戦争の準備か、それとも伝令の馬を揃えるためか?
走らせたって書いてあるので、伝令なのかも。
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