天武天皇(七十)寺の食封

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天武天皇(七十)寺の食封

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原文

夏四月辛亥朔乙卯、詔曰、商量諸有食封寺所由、而可加々之、可除々之。是日、定諸寺名也。己未、祭廣瀬龍田神。

現代語訳

(即位8年)夏4月5日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「諸々の食封(ヘヒト)がある寺の所以を調べて、適切な量を加えるべきは加え、減らすべきは減らしなさい」
この日に、諸々の寺の名前を定めました。
4月9日。広瀬・竜田の神を祀りました。

解説

食封
ヘヒト。
食封はようは私有民のことで、私有民を抱えて、働かせて、その収入が寺の収入になります。
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