天武天皇(六十六)加良井山と金紅世が日本に・新羅の船の遭難

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天武天皇(六十六)加良井山と金紅世が日本に・新羅の船の遭難

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原文

是年、新羅送使奈末加良井山・奈末金紅世、到于筑紫曰「新羅王、遣汲飡金消勿・大奈末金世々等、貢上當年之調。仍遣臣井山、送消勿等。倶逢暴風於海中、以消勿等皆散之、不知所如。唯井山僅得着岸。」然、消勿等遂不來焉。

現代語訳

(即位7年)この年、新羅の送迎の使者の奈末(マナ=新羅の官位)の加良井山(カリョウジョウセン)・奈末(マナ)の金紅世(キングセ)が筑紫に到着して言いました。
「新羅王が、汲飡(キュウサン=新羅の官位)の金消勿(キンショウモツ)・大奈末(ダイマナ=新羅の官位)の金世々(キンセイセイ)を派遣して、今年の調(ミツキ)を献上しました。それで、臣下である私め、井山(ジョウセン)を派遣して、消勿(ショウモツ)たちを送迎させました。一緒に海で暴風に会いました。消勿たちは、皆、散ってどこにいるのか分かりません。ただし井山だけが、なんとか岸にたどり着くことが出来ました」
しかし、ついには消勿は来ませんでした。
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解説

新羅から日本に来るだけ、なんですが、まー、よく漂流したり、遭難するんですよね。ちゃんと船を作っているんでしょうか。モンゴルが元寇で日本に来て、神風で全滅したのは、「朝鮮人が船を作ったから」と言われるのも、分かる。

日本は縄文人も弥生人も間違いなく船に乗ってやってきていますから、造船技術が無いわけがなく、そもそもが海洋民族です。しかし、朝鮮の神話を読んでみればわかりますが、「海」が出てこない。古代の朝鮮人は「大陸の民族」で、半島にこそ住んでいても、そもそも「海を渡る」技術を持っていなかったのでしょう。

この時代には、中国か日本かから、船の技術を持っていたでしょうが、現代の韓国のみたいに、他国から技術をもらっても、使いこなせるかどうかは判りませんよね。あれと一緒ですよ。
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