天武天皇(三十七)難波で金承元をもてなす・大郡で高麗の邯子と新羅の薩儒をもてなす

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天武天皇(三十七)難波で金承元をもてなす・大郡で高麗の邯子と新羅の薩儒をもてなす

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原文

九月癸丑朔庚辰、饗金承元等於難波、奏種々樂、賜物各有差。冬十一月壬子朔、金承元罷歸之。壬申、饗高麗邯子・新羅薩儒等於筑紫大郡、賜祿各有差。

現代語訳

(即位2年)9月28日。金承元(キンショウゲン)たちを難波で宴会をしてもてなしました。種々の楽(ウタマイ=歌と舞)を演奏しました。ものを与え、それぞれに品がありました。

冬11月1日。金承元は帰りました。
11月21日。高麗の邯子と新羅の薩儒たちに、筑紫の大郡(オオゴオリ)で宴会をしてもてなしました。禄(モノ)を与え、それぞれに品がありました。
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解説

金承元は新羅の使者の名前。金承元は使者の中で一番位が高い。彼をもてなすのは、筋から言えば別に不思議ではないです。
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