天武天皇(五十九)天社地社の神税・新羅人が血鹿嶋に漂着

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天武天皇(五十九)天社地社の神税・新羅人が血鹿嶋に漂着

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原文

五月壬戌朔、不告朔。甲子、勅大博士百濟人率母、授大山下位、因以封卅戸。是日、倭畫師音檮、授小山下位、乃封廿戸。戊辰、新羅人阿飡朴刺破・從人三口・僧三人、漂着於血鹿嶋。己丑、勅「天社地社神税者、三分之一爲擬供神、二分給神主。」是月旱之、於京及畿內雩之。

現代語訳

(即位6年)5月1日。告朔(ツイタチマウシ)をしませんでした。
5月3日。大博士の百済人の率母に大山下位を授けました。30戸を封じました。この日に倭画師音檮(ヤマトノエシオトカシ)に小山下位を授けました。20戸を封じました。
5月7日。新羅人の阿飡(アサン=新羅の官位の名前)の朴刺破(ボクシハ)・従者3口・僧3人が、血鹿嶋(チカノシマ=五島列島)に漂着しました。
5月28日。勅(ミコトノリ)しました。
「天社地社(アマツヤシロクニツヤシロ)の神税(カムチカラ=神社に属する神戸という民から出る田の租税のこと)は三つに分けて、一つを神に供えるものとして、2つ分は神主に分け与えなさい」
この月に干ばつがありました。京と畿内で雨乞いをしました。
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解説

率母
白村江の戦いの後、滅亡した百済から亡命してきた百済人の中に「許率母」が見えます。「大博士の百済人の率母」はこの人物でしょう。注釈に「許率母は五経に明るい」とあるので「大博士」というのは、五経・・・つまり儒教に詳しい人物ということでしょう。
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