天武天皇(百二十)11氏族に忌寸を賜う・官位ごとに服の色を定める

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天武天皇(百二十)11氏族に忌寸を賜う・官位ごとに服の色を定める

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原文

六月乙亥朔甲午、大倭連・葛城連・凡川內連・山背連・難波連・紀酒人連・倭漢連・河內漢連・秦連・大隅直・書連、幷十一氏賜姓曰忌寸。秋七月乙巳朔乙丑、祭廣瀬龍田神。庚午、勅定明位已下進位已上之朝服色、淨位已上並着朱花(朱花此云波泥孺)・正位深紫・直位淺紫・勤位深緑・務位淺緑・追位深蒲萄・進位淺蒲萄。辛未、詔曰、東山道美濃以東・東海道伊勢以東諸国有位人等、並免課役。八月甲戌朔乙酉、天皇幸于淨土寺。丙戌、幸于川原寺、施稻於衆僧。癸巳、遣耽羅使人等還之。

現代語訳

(即位14年)6月20日。大倭連(ヤマトノムラジ)・葛城連(カズラキノムラジ)・凡川内連(オオシカフチノムラジ)・山背連(ヤマシロノムラジ)・難波連(ナニワノムラジ)・紀酒人連(キノサカヒトノムラジ)・倭漢連(ヤマトノアヤノムラジ)・河内漢連(カフチノアヤノムラジ)・秦連(ハダノムラジ)・大隅直(オオスミノアタイ)・書連(フミノムラジ)、合わせて11氏族に姓を与えて忌寸(イミキ)と言うようになりました。

秋7月21日。広瀬・竜田の神を祭りました。
7月26日。勅(ミコトノリ)して明位(ミョウイ)から下の、進位(シンイ)から上の朝廷の服の色を定めました。浄位(ジョウイ)から上は一緒に朱花(ハネズ=朱色の花)を身につける。
朱花は波泥孺(ハネズ)と言います。

正位は深紫・直位は浅紫・勤位は深緑・務位は浅緑・追位は深蒲萄(フカエビソメ=エビソメは青)・進位は浅蒲萄(アサエビソメ)。
7月27日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「東山道は美濃から東。東海道は伊勢から東の諸国の位がある人たちに、皆、課役(エツキ=労役)を免除しなさい」

8月12日。天皇は浄土寺(=山田寺の別名)に行きました。
8月13日。川原寺に行きました。稲を諸々の僧に配りました。
8月20日。耽羅(タムラ=済州島)に派遣した使者たちが帰りました。
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解説

朱色→紫(深紫・浅紫)→緑(深緑・浅緑)→青(深青・浅青)
という順番です。
紫は昔から「高位」の人が身につけるものとして登場しています。問題は、この上に「朱色」が設定されていて、朱色だけが「深・浅い」というのが無いくらいに、朱色を特別に設定しているってことです。これは、大海人皇子(天武天皇)が壬申の乱の時に「赤い」ものを身につけることで、敵と味方の区別にした経緯のせい、じゃ無いかと思います。
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