天武天皇(百三十三)朱鳥元年・飛鳥浄御原宮と名付ける・観世音像を作る

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天武天皇(百三十三)朱鳥元年・飛鳥浄御原宮と名付ける・観世音像を作る

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原文

戊午、改元曰朱鳥元年朱鳥此云阿訶美苔利、仍名宮曰飛鳥淨御原宮。丙寅、選淨行者七十人以出家、乃設齋於宮中御窟院。是月、諸王臣等、爲天皇造觀世音像、則說觀世音經於大官大寺。

現代語訳

(即位15年)7月20日。元(ハジメノトシ=元号)を改めて、朱鳥元年(アカミトリノハジメノトシ)と言いました。
朱鳥は阿訶美苔利(アカミトリ)と言います。

それで宮を名付けて、飛鳥浄御原宮(アスカノキヨミハラノミヤ)と言います。
7月28日。浄行者(オコナイヒト)を70人を選んで、出家させました。宮中の御窟院(ミムラノマチ)で設斎(オガミ)しました。
この月に諸王臣(モロモロノオオキミマヘツキミ)たちは天皇のために、観世音像(カンゼオンノミカタ)を作りました。すぐに観世音経を大官大寺で説かせました。
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解説

飛鳥淨御原宮
飛鳥淨御原宮と名付けた、というのが事実ならばこれまでに、「飛鳥淨御原宮」と記述があるのは、後世に書いた記述ということになります。
ちなみに「飛鳥淨御原宮」という記述があるのは以下のページのみ。

后妃と子息子女の記述ってのは、後世に書いた、ってのはまぁ、当然っちゃ当然です。それらを除いた一つは、壬申の乱の記述ですから、これも後世に書いた・・・戦後に編纂したと考えるのが当たり前ですから、不思議じゃない。というわけで、飛鳥淨御原宮という名前は、この朱鳥元年に設定したというのは事実と考えて差し支えないかと。
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