天武天皇(百二十九)侍医の桑原村主訶都・川原寺の伎楽・新羅の献上品・斎宮

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天武天皇(百二十九)侍医の桑原村主訶都・川原寺の伎楽・新羅の献上品・斎宮

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原文

夏四月庚午朔丁丑、侍醫桑原村主訶都授直廣肆、因以賜姓曰連。壬午、爲饗新羅客等、運川原寺伎樂於筑紫、仍以皇后宮之私稻五千束、納于川原寺。戊子、新羅進調、從筑紫貢上、細馬一匹・騾一頭・犬二狗・鏤金器、及金銀霞錦綾羅虎豹皮、及藥物之類、幷百餘種。亦智祥・健勳等、別獻物、金銀霞錦綾羅金器屏風鞍皮絹布藥物之類、各六十餘種、別獻皇后・皇太子及諸親王等之物各有數。丙申、遣多紀皇女・山背姫王・石川夫人於伊勢神宮

現代語訳

(即位15年)夏4月8日。侍医(オモトクスシ=お抱え医師)の桑原村主訶都(クワハラノスグリカツ)に直広肆(ジキコウシ)を授けました。それで姓(カバネ)を与えて連(ムラジ)と言うようになりました。
4月13日。新羅の客人たちを宴会してもてなすために、川原寺の伎楽(クレガク=中国の呉地方の音楽と舞=ここでは舞う人や演奏者や楽器や衣装を指す)を筑紫に運びました。皇后の宮の個人の稲5000束を川原寺に納めました。
4月19日。新羅が献上した調(ミツキ)を筑紫が献上しました。細馬(ヨキウマ)一匹・騾(ラ=ラバ)一頭・犬二狗・鏤金器(コガネノウツワモノ=金の装飾の器)、金・銀・霞錦(カスミイロノニシキ)・綾羅(アヤウスハタ)・虎豹皮(トラナカツカミノカワ)と薬物の類、合わせて100種余り。智祥(チジョウ=金智祥)・健勳(ゴンクン=金健勳)たちは別に献上したものが、金・銀・霞錦・綾羅・金器・屏風・鞍皮・絹布・薬物の類、それぞれ60種余り。これとは別に皇后と皇太子と諸々の親王たちに献上したものが、それぞれに数がありました。
4月27日。多紀皇女(タキノヒメミコ)・山背姫王(ヤマシロノオオキミ)・石川夫人(イシカワノオオトジ)を伊勢神宮に派遣しました。
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解説

多紀皇女・山背姫王・石川夫人
多紀皇女(=託基皇女)は、天武天皇の娘。斎宮になった後に伊勢神宮から引退しています。山背姫王は他に記述がないけども、石川夫人が天武天皇の妃なことを考えると、天武天皇の娘か、天智天皇の娘か、ともかく親族でしょう。

石川夫人は天武天皇の妃の一人で、蘇我赤兄の娘です。蘇我赤兄は近江側で、その子息は皆、配流されています。つまり石川夫人は天武天皇の妃なのですが、敵方の娘ってことです。石川夫人が伊勢神宮の斎宮になったのは、そういう経緯があるのかもしれません。ないかもしれないけど。
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