天武天皇(百三十六)発哭と各人の誄

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天武天皇(百三十六)発哭と各人の誄

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原文

甲子平旦、諸僧尼發哭於殯庭乃退之。是日、肇進奠卽誄之。第一大海宿禰荒蒲、誄壬生事。次淨大肆伊勢王、誄諸王事。次直大參縣犬養宿禰大伴、總誄宮內事。次淨廣肆河內王、誄左右大舍人事。次直大參當麻眞人国見、誄左右兵衞事。次直大肆采女朝臣竺羅、誄內命婦事。次直廣肆紀朝臣眞人、誄膳職事。乙丑、諸僧尼亦哭於殯庭。是日、直大參布勢朝臣御主人、誄太政官事。次直廣參石上朝臣麻呂、誄法官事。次直大肆大三輪朝臣高市麻呂、誄理官事。次直廣參大伴宿禰安麻呂、誄大藏事。次直大肆藤原朝臣大嶋、誄兵政官事。

丙寅、僧尼亦發哀。是日、直廣肆阿倍久努朝臣麻呂、誄刑官事。次直廣肆紀朝臣弓張、誄民官事。次直廣肆穗積朝臣蟲麻呂、誄諸国司事。次大隅・阿多隼人及倭・河內馬飼部造、各誄之。丁卯、僧尼發哀之。是日、百濟王良虞、代百濟王善光而誄之。次国々造等、隨參赴各誄之。仍奏種々歌儛。
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現代語訳

(即位15年)9月27日。平坦(虎の刻=午前4時)に諸々の僧尼は殯庭(モガリノミヤ)で発哭(ミネタテマツリ=泣いて悲しみを表現する儀式)をして退出しました。この日に、初めて奠(ミケ=供えもの)をたてまつり、誄(シノビゴトタテマツル=死者への言葉を供えること)をしました。
第一に大海宿禰荒蒲(オオアマノスクネアラカマ)は壬生(ミブ=皇子の養育係)のことを誄しました。
次に浄大肆の伊勢王(イセノオオキミ)は諸王(オオキミタチ)のことを誄しました。
次に直大参の県犬養宿禰大伴(アガタノイヌカイノスクネオオトモ)は全ての宮中のことを誄しました。
次に浄広肆の河内王(カフチノオオキミ)は左右大舎人(ヒダリミギノオオトネリ)のことを誄しました。
次に直大参の当麻真人国見(タギマノマヒトクニミ)は左右兵衛(ヒダリミギノトネリ)のことを誄しました。
次に直大肆の采女朝臣竺羅(ウネメノアソミツクラ)は内命婦(ヒメマヘツキミ)のことを誄しました。
次に直広肆の紀朝臣真人(キノアソミマヒト)は膳職(カシワデノツカサ)のことを誄しました。
9月28日。諸々の僧尼はまた殯庭で哭(ミネタテマツル)しました。この日に直大参の布勢朝臣御主人(フセノアソミミヌシ)が太政官(オオキマツリゴトノツカサ)の事を誄しました。
次に直広参の石上朝臣麻呂(イソノカミノアソミマロ)が法官のことを誄しました。
次に直大肆の大三輪朝臣高市麻呂(オオミワノアソミタケチマロ)を理官(オサムルツカサ)の事を誄しました。
次に直広参の大伴宿禰安麻呂(オオトモノスクネヤスマロ)は大藏(オオクラ)の事を誄しました。
次に直大肆の藤原朝臣大嶋(フジワラノアソミオオシマ)は兵政官(ツワモノノツカサ)の事を誄しました。

9月29日。僧尼はまた発哀(ミネタテマツル)しました。この日に直広肆の阿倍久努朝臣麻呂(アヘノクノノアソミマロ)は刑官(ウタエノツカサ)の事を誄しました。
次に直広肆の紀朝臣弓張(キノアソミユミハリ)は民官(カキノツカサ)の事を誄しました。
次に直広肆の穂積朝臣蟲麻呂(ホズミノアソミムシマロ)は諸国司(クニグニノミコトモチ)の事を誄しました。
次に大隅(オオスミ)・阿多隼人(アタノハヤヒト)と倭・河内の馬飼部造(ウマカイベノミヤツコ)が、それぞれ誄しました。

9月30日。僧尼は発哀(ミネタテマツル)しました。この日に百済王の良虞(リョウグ)は、百済王の善光(ゼンコウ)に代わって、誄しました。次に国々の造(ミヤツコ)たちが参り出て、それぞれが誄をして、種々の歌舞を奏じました。
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解説

これにて天武天皇が終了。
長かった。

大海宿禰荒蒲は唐突に出てきたようですが、名前から考えるに、大海人皇子(天武天皇)を養育した人物と思われます。ということは、皇子の名前は幼年時代に養育した人物に関わる名前ということになり、大友皇子は「大伴」が育てた?ということになるのではないかと。

そういう制度が昔からあるものなのか? それともこの時代にそうだっただけなのか??
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