天武天皇(百三十五)天武天皇の崩御と殯・大津皇子の謀反

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天武天皇(百三十五)天武天皇の崩御と殯・大津皇子の謀反

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原文

九月戊戌朔辛丑、親王以下逮于諸臣悉集川原寺、爲天皇病誓願、云々。丙午、天皇、病遂不差、崩于正宮。戊申、始發哭、則起殯宮於南庭。辛酉、殯于南庭、卽發哀。當是時、大津皇子、謀反於皇太子。

現代語訳

(即位15年)9月4日。親王から下、諸臣(マヘツキミタチ=臣下たち)まで、すべて川原寺に集まって、天皇の病気のために誓願しました。云々。
9月9日。天皇の病はついに治癒せず、正宮(オオミヤ)で崩御しました。
9月11日。初めて発哭(ミネタテマツル=泣いて悲しみを表現する儀式)をしました。殯宮(モガリノミヤ)を南庭(ミナミノオオバ)に建てました。
9月24日。南庭で殯をしました。すぐに発哭をしました。この時に当たって、大津皇子は皇太子に謀反しようとしました。
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解説

大津皇子
天武天皇の子で、皇太子(=次の天皇候補)ではないのですが、かなり人望があり、優秀だったよう。ここで謀反を企てたとしましょう。いや、これはとんでもないクソ野郎だ!とは誰も言えない。何せ、そうやって天武天皇は天皇に即位したのだから。

無論、果たして本当に大津皇子が謀反を起こしたのか、というとなんとも言えないのです。持統天皇や草壁皇子側の策略という見方もあります。だから、大津皇子が父親譲りの謀反をする積極的な皇子なのか、人望があるが故に嵌められた善良な被害者なのか、そこんところは分かりません。

大津皇子はこの後、自害することになります。
そして恐ろしいことに草壁皇子も即位することなく、持統天皇即位3年に死亡します。
世間はどう思ったか?
間違いなく大津皇子の祟りを連想したはずです。

大津皇子が謀反を企てたかどうかは関係ありません。そういう連想をしたはずってことです。
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