スポンサードリンク
大伴連
漢字・読み | オオトモノムラジ |
概要
大伴氏は記紀・姓氏録・旧事紀でも天忍日命(アメノオシヒノミコト)の子孫となっています。大伴という名前は「伴部」で皇室に仕えるものの意味で大伴連は、この集団の首領・有力者のことを指します。連(ムラジ)は「皇室とは血縁ではないが、有力者に与えられる姓」です。
参考:★姓
古い時代から皇室に仕えていて、5世紀に「連」の姓を賜ったと思われます。この時期は大伴の勢力が強かったのですが、大化の改新の頃には一旦勢力が衰えます。その後、壬申の乱で活躍したことで、佐伯連(サエキノムラジ)と共に「宿禰(スクネ)」を賜ります。宿禰は天武天皇が定めた「八色の姓」では3番目。一番目の「真人」が継体天皇から5世の血縁者に限られているので「宿禰」は実質二番目。つまりかなり優遇されました。
その後、平安時代初期には没落。歌詠みの有名人が多く、領地・領民が多いのにも関わらず、残っている系図が少ない。
参考:★姓
古い時代から皇室に仕えていて、5世紀に「連」の姓を賜ったと思われます。この時期は大伴の勢力が強かったのですが、大化の改新の頃には一旦勢力が衰えます。その後、壬申の乱で活躍したことで、佐伯連(サエキノムラジ)と共に「宿禰(スクネ)」を賜ります。宿禰は天武天皇が定めた「八色の姓」では3番目。一番目の「真人」が継体天皇から5世の血縁者に限られているので「宿禰」は実質二番目。つまりかなり優遇されました。
その後、平安時代初期には没落。歌詠みの有名人が多く、領地・領民が多いのにも関わらず、残っている系図が少ない。
スポンサードリンク
物語・由来
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketスポンサードリンク