天武天皇(四十二)新羅の王子の忠元の来日

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天武天皇(四十二)新羅の王子の忠元の来日

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原文

是月、新羅、遣王子忠元・大監級飡金比蘇・大監奈末金天沖・第監大麻朴武摩・第監大舍金洛水等、進調。其送使奈末金風那・奈末金孝福、送王子忠元於筑紫。

現代語訳

この月(即位4年2月)。新羅の王子の忠元(チュウガン)・大監級飡(ダイカンキュウサン)の金比蘇(キンヒソ)・大監奈末(ダイカンナマ)の金天沖(キンテンチュウ)・第監大麻(ダイカンダマ)の朴武摩(ボクムマ)・第監大舍(ダイカンダイサ)の金洛水(キンラクスイ)たちを派遣して、調(ミツキ)を献上しました。
その送迎の使者として、奈末(マナ)の金風那(キンフナ)・奈末の金孝福(キンコウフク)、が王子の忠元を筑紫に送りました。
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解説

大監と第監
新羅の武官のこと。つまり彼らは軍人ということになります。新羅は唐の属国となり白村江で日本と戦うのですが、その後、唐とは敵対関係になります。

伝統的に中国は「遠交近攻」という離れた国とは国交を結んで、接している国は戦争を仕掛けるという厄介な政策を取る国です。白村江の戦いまでは、唐は新羅と国交を結んで、高句麗や百済を滅ぼしました。しかし、百済と高句麗が滅んだ今、唐は次に、「日本と国交を結んで、新羅を攻め滅ぼす」というのが順当な政策になります。となると新羅は「日本と唐が接近するのはマズイ」と考えるはずです。

そういう情勢があって、新羅の武官が来日した、のかもしれません。事情を話し合うために、ということです。まぁ、単に治安が悪いのかもしれないし、別の理由があるのかもしれません。
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