天武天皇(四十七)大伴連国麻呂と三宅吉士入石を新羅へ

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天武天皇(四十七)大伴連国麻呂と三宅吉士入石を新羅へ

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原文

秋七月癸卯朔己酉、小錦上大伴連国麻呂爲大使・小錦下三宅吉士入石爲副使、遣于新羅。八月壬申朔、耽羅調使王子久麻伎、泊筑紫。癸巳、大風飛沙破屋。丙申、忠元、禮畢以歸之、自難波發船。己亥、新羅・高麗二国調使、饗於筑紫、賜祿有差。九月壬寅朔戊辰、耽羅王姑如、到難波。

現代語訳

(即位4年)秋7月7日。小錦上の大伴連国麻呂(オオトモノムラジクニマロ)を大使として、小錦下の三宅吉士入石(ミヤケノキシイリシ)を副使(ソイツカイ)として、新羅へ派遣しました。

8月1日。耽羅(タムラ=済州島)の調(ミツキ=税)の使者として、王子の久麻伎(クマキ)が筑紫に宿泊しました。
8月22日。強い風が吹いて、沙(イサゴ=砂)を飛ばしあげて屋根を壊しました。
8月25日。忠元(チュウガン)は儀礼を終えて、帰国しました。難波から船が出発しました。
8月28日。新羅と高麗の二つの国の調(ミツキ)の使者を筑紫で宴会してもてなしました。禄(モノ)を与え、品がありました。

9月27日。耽羅(タムラ)の王の姑如(コニョ)が難波に到着しました。
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解説

活発な外交を行っていますね。
外交関係はいずれまとめたいです。
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