天武天皇(四十八)兵器を備える詔・高倉郡の女の三つ子・妖言して自殺

MENU
TOP>天武天皇(日本書紀29)>天武天皇(四十八)兵器を備える詔・高倉郡の女の三つ子・妖言して自殺
スポンサードリンク

天武天皇(四十八)兵器を備える詔・高倉郡の女の三つ子・妖言して自殺

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

冬十月辛未朔癸酉、遣使於四方、覓一切經。庚辰、置酒宴群臣。丙戌、自筑紫貢唐人卅口、則遣遠江国而安置。庚寅、詔曰、諸王以下初位以上、毎人備兵。是日、相摸国言、高倉郡女人生三男。十一月辛丑朔癸卯、有人、登宮東岳、妖言而自刎死之。當是夜直者、悉賜爵一級。是月、大地動。

現代語訳

(即位4年)冬10月3日。使者を四方に派遣して、一切経(イッサイキョウ)を探し求めました。
10月10日。酒を置いて群臣(マヘツキミタチ=臣下たち)と宴(トヨノアカリ=収穫の宴会)を行いました。
10月16日。筑紫から唐人(モロコシビト)30口が献上されました。すぐに遠江国(トオツアオウミノクニ)に派遣して、安置しました。
10月20日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「諸王(オオキミ)より下の、初位(ウイカブリ)より上は、一人一人に武器を準備しなさい」
この日に相模国(サガミノクニ)が言いました。
「高倉郡(タカクラコオリ)の女が、一度に3人の男の子を産みました」

11月3日。人がいて、その人が宮の東の丘に登って、妖言(オヨヅレコト=呪文・呪いの言葉・人を惑わす呪い)を言って、自らの首をハネて死にました。この夜に当直した者、全員に爵位を1級与えました。
この月に大きな地震がありました。
スポンサードリンク

解説

一切経
仏教には「お経」というのがあって、それがキリスト教の聖書、イスラム教のコーラン、のように考えがちですが、「お経」というのは、いろんな人が色々と書いていて、取り止めがなく、膨大にあります。そこで、「お経全部」のことを「一切経」と言うようにしています。
天武天皇即位2年に一切経の写経をしています。朝廷が把握しているお経の中で不足したものがまだまだあったのでしょうね。

一切経の写経を朝廷が命じた、となると「朝廷が仏教を管理するからな!」という意味なんじゃないかな、と。ひっくり返すと、この時点では、仏教のお寺の中には、朝廷の管轄下にないお寺がチラホラとあったということです。

武器を
「みんな、武器を準備しなさいよ」と天武天皇が命令しています。普通ならば、戦争は終わり、武器は捨てたいものです。ところが、武器携帯の命令。つまり、天武天皇には「戦争があるかもしれない」という感覚があったのでしょう。相手は、まぁ、白村江の戦いの延長で「唐」と見るのが普通ですけど・・・
もしかすると、まだ日本全体では壬申の乱の残り火があったのかも。
妖言
妖言を聞いただろう、その晩に当直した人物に、爵位を与えた。ってことは、口止料ってことでしょうか。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集