天武天皇(百六)諸国の境・四季の初めに朝廷に・都城と宮室を複数

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天武天皇(百六)諸国の境・四季の初めに朝廷に・都城と宮室を複数

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原文

十一月甲申朔丁亥、詔諸国習陣法。丙申、新羅、遣沙飡金主山・大那末金長志、進調。十二月甲寅朔丙寅、遣諸王五位伊勢王・大錦下羽田公八国・小錦下多臣品治・小錦下中臣連大嶋、幷判官・錄史・工匠者等、巡行天下而限分諸国之境堺。然、是年不堪限分。庚午、詔曰、諸文武官人及畿內有位人等、四孟月必朝參。若有死病不得集者、當司具記申送法官。又詔曰、凡都城宮室、非一處必造兩參、故先欲都難波。是以、百寮者各往之請家地。

現代語訳

(即位12年)11月4日。諸国で詔(ミコトノリ)して、陣法(イクサノノリ=兵法)を習わせました。
11月13日。新羅は沙飡(ササン=新羅の官位)の金主山(キンシュセン)・大那末(ダイナマ=新羅の官位)の金長志(キンチョウシ)を派遣して、調(ミツキ)を献上しました。

12月13日。諸王五位の伊勢王(イセノオオキミ)・大錦下の羽田公八国(ハタノキミヤクニ)・小錦下の多臣品治(オオノオミホムジ)・小錦下の中臣連大嶋(ナカトミノムラジオオシマ)と、判官(マツリゴトヒト)・禄史(フビト)・工匠者(タクミ=技術者)と天下を巡行して、諸国の境界を調べて分けました。しかし、この年、調べて分けきれませんでした。
12月17日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「諸々の文武(フミツワモノ=文官と武官)の官人と畿内の位の有る人達は、四季の初めの月(1月と4月と7月と10月の事)に必ず朝廷に参りなさい。もし、死や病気で集まることができないのならば、当司(ソノツカサ=担当の役人)は詳細に記して、法官(ノリノツカサ)に申し送りなさい」
また詔(ミコトノリ)して言いました。
「都城(ミヤコ)・宮室(オオミヤ=天皇の居室)は1箇所ではない。必ず二つか三つ作るものだ。だからまず、難波に都を作ろうと思う。百寮(ツカサツカサ=役人)の者たちは、それぞれが行って、家地を請願しなさい」
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解説

陣法
詳細は分かりませんが、孫氏の兵法などの中国の「戦争理論」だと言われています。
諸国の境界
国の境界をハッキリさせるってことは、管理者がハッキリするってことで、それはつまり税金を徴収することが出来るようになるってことです。
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