天武天皇(百十)百済の僧尼と俗人を武蔵国に・彗星が西北に

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天武天皇(百十)百済の僧尼と俗人を武蔵国に・彗星が西北に

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原文

五月辛亥朔甲子、化來百濟僧尼及俗男女幷廿三人、皆安置于武藏国。戊寅、三輪引田君難波麻呂爲大使・桑原連人足爲小使、遣高麗。六月辛巳朔甲申、雩之。秋七月庚戌朔癸丑、幸于廣瀬。戊午、祭廣瀬龍田神。壬申、彗星出于西北、長丈餘。

現代語訳

(即位13年)5月14日。化来(オノズカラマウケル=自分から帰化する)した百済の僧尼と俗人、男女合わせて23人は、皆、武蔵国に安置しました。
5月28日。三輪引田君難波麻呂(ミワノヒケタノキミナニワマロ)を大使とし、桑原連人足(クワハラノムラジヒトタリ)を小使として、高麗に派遣しました。

6月4日。雨乞いをしました。

秋7月4日。天武天皇は広瀬に行きました。
7月9日。広瀬・竜田の神を祭りました。
7月23日。彗星(ハハキボシ)は西北に出ました。長さは1丈あまりです。
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解説

化来した百済の…
百済が滅亡したのはかなり前。こうして「百済から帰化したよ」と書くのは、百済という国は無くなっても(政府がなくなっても)、百済という地域はあり、そこからの流民という意味じゃないかと思います。
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