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崇峻天皇(三)尼たちは訓戒の法を百済で学びたい
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甲子、善信阿尼等、謂大臣曰「出家之途、以戒爲本。願、向百濟學受戒法。」是月、百濟調使來朝。大臣謂使人曰「率此尼等、將渡汝国、令學戒法。了時、發遣。」使人答曰「臣等歸蕃、先噵国主。而後發遣、亦不遲也。」
現代語訳
(用明天皇即位2年6月)21日。善信阿尼(ゼンシンノアマ)たちは、大臣に語って言いました。
「出家の道は、戒律を守ることが根本です。願わくば、百済に行って、戒律の法を習い、学び受けたいのです」
この月(6月)に百済の調(ミツキ)の使者がやって来ました。大臣は使者に語って言いました。
「この尼たちを連れて行って、お前の国に渡って、戒律の法を学び習わせろ。終わったら、出発して派遣しろ」
使者は答えて言いました。
「わたしめども、蕃(クニ)に帰って、まず国主(クニノキミ)に申し上げます。その後に、出発し派遣しても、遅くはないでしょう」
「出家の道は、戒律を守ることが根本です。願わくば、百済に行って、戒律の法を習い、学び受けたいのです」
この月(6月)に百済の調(ミツキ)の使者がやって来ました。大臣は使者に語って言いました。
「この尼たちを連れて行って、お前の国に渡って、戒律の法を学び習わせろ。終わったら、出発して派遣しろ」
使者は答えて言いました。
「わたしめども、蕃(クニ)に帰って、まず国主(クニノキミ)に申し上げます。その後に、出発し派遣しても、遅くはないでしょう」
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解説
日本は神道の国でした。神道は穢れを嫌い、そのために獣の毛で作った筆を嫌った。だから「筆で書いた本」を残せなかった。しかし、仏教は「穢れ」という概念がないのですから、筆も使えます。これで、「書く」という文化的なことが出来るようになります。
だから「法」も取り入れることができます。日本は「ルール」を守る民族です。だから、神社の祝詞のように「ルール」はあった。ところが、それを記述できない。これではルールはあっても曖昧。
仏法も神道のルールも、これからは「書く」ことでハッキリさせることが出来る。これによって日本は発展する。蘇我氏は現在の日本を育てた功労者だろうと思います。
だから「法」も取り入れることができます。日本は「ルール」を守る民族です。だから、神社の祝詞のように「ルール」はあった。ところが、それを記述できない。これではルールはあっても曖昧。
仏法も神道のルールも、これからは「書く」ことでハッキリさせることが出来る。これによって日本は発展する。蘇我氏は現在の日本を育てた功労者だろうと思います。
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崇峻天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 崇峻天皇(一)出自・穴穂部皇子と淡路で馳猟をしたい
- Page2 崇峻天皇(二)宅部皇子と穴穂部皇子を誅殺
- Page3 崇峻天皇(三)尼たちは訓戒の法を百済で学びたい
- Page4 崇峻天皇(四)渋河での守屋と馬子の戦い
- Page5 崇峻天皇(五)厩戸皇子の白膠木の四天王像
- Page6 崇峻天皇(六)大臣の妻は大連の妹・四天王寺と法興寺
- Page7 崇峻天皇(七)捕鳥部萬の逃亡
- Page8 崇峻天皇(八)萬の屍体は8つに斬って8つの国へ
- Page9 崇峻天皇(九)萬の白犬・桜井田部連胆渟の犬
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