萬の白犬・桜井田部連胆渟の犬

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崇峻天皇(九)萬の白犬・桜井田部連胆渟の犬

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原文

爰有萬養白犬、俯仰廻吠於其屍側、遂嚙舉頭收置古冢、横臥枕側、飢死於前。河內国司、尤異其犬、牒上朝庭。朝庭哀不忍聽、下苻稱曰「此犬、世所希聞、可觀於後。須使萬族作墓而葬。」由是、萬族、雙起墓於有眞香邑葬萬與犬焉。河內国言「於餌香川原有被斬人、計將數百。頭身既爛、姓宇難知、但以衣色收取其身者。爰有櫻井田部連膽渟所養之犬、嚙續身頭伏側固守、使收己主乃起行之。」

現代語訳

萬は養い飼っていた白犬(シライヌ)がいました。伏し、仰ぎ見て、その屍(カバネ=しかばね)のそばを回って吠えました。頭を咥えあげて、古塚(フルハカ)に置いて収めました。横の枕の側に伏して、そのまま飢えて死にました。河内国司(カワチノクニノミコトモチ)はその犬を怪しく思い、朝廷に牒(モウ)し上げました。朝廷はそれを聞いて隠せないほどに悲しみました。そして符(オシテフミ)を下して褒めて言いました。
「その犬は世に珍しいものだ。後世にも示し見せるべきだ。萬の一族に墓を作らせて、葬らせろ」
それで萬の一族は墓を有真香邑(アリマカノサト)に並べて作って、萬と犬を葬りました。河内国司は言いました。
「餌香川原(エガノカワラ=河内国古市郡の恵我川=現在の大阪府羽曳野市)に斬り殺された人がいた。数えると数百ばかり。頭と身体はすでにただれて、姓も名も知れない。ただ衣の色で、身(ムクロ=胴体=ここでは遺体)を取り収めた。桜井田部連胆渟(サクライノタベノムラジイヌ)が養い飼っていた犬がいました。身頭(ムクロ)を咥えて運び続けて、側に伏して固く守りました。自分の主(アルジ)を収めて、立って行きました」
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解説

犬と日本人
ここでは犬が「忠誠」を表す動物として登場しています。この時代までには犬は、日本人にとって大事な存在になっていたんでしょうね。

犬が主人の遺体を探して、それを収めるなんて美談は創作でしょうが、それが美談として成立するには、犬の忠誠と、忠誠が素晴らしいものだという概念が必要です。

日本人は古来、犬を飼っていたハズです。ですが犬を飼っていた理由が、この時代とそれ以前ではちょっと違っていたと思うんですよね。

日本人は山に穀物神が住んでいてそれが里にやってきて畑に宿って穀物が実ると考えていました。ではどうやって里にやって来るかというと「動物に宿って」と考えました。だから日本人は動物を殺せないわけです。

しかし、動物は大抵「害獣」です。シカとかイノシシって畑を荒らしますからね。だからどこの国でも肉食と農業は並立しているわけです。農業する以上は害獣駆除は必須。よって肉食もついてくる。そういうものでした。でも、日本は上記の理由からそれができない。

そこで最初は「狩猟民族を雇う」ということをしたんじゃないかと思うのです。それが蝦夷であり、蝦夷の士族である佐伯だった。おそらく他にも居たと思います。有名な氏族が佐伯だってだけで。でも、彼らも日本の文化に触れるうちに、穢れを嫌うようになり、動物を殺したくなくなった。そこで「犬」で害獣を山に追い返すようになったんじゃないかと思うのです。それが「犬養部」だった。

犬養部の登場は安閑天皇(在位531ー536)の時代です。崇峻天皇(在位587ー592)と考えると、日本人の中で犬の評価が高まり、その忠誠心から様々な美談が生まれるには十分ではないかと。
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