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崇峻天皇(十一)僧と仏舎利と寺工と鑪盤博士と瓦博士と画工
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是歲、百濟国遣使幷僧惠總・令斤・惠寔等、獻佛舍利。百濟国遣恩率首信・德率蓋文・那率福富味身等、進調、幷獻佛舍利・僧聆照律師・令威・惠衆・惠宿・道嚴・令開等・寺工太良未太・文賈古子・鑪盤博士將德白昧淳・瓦博士麻奈文奴・陽貴文・㥄貴文・昔麻帝彌・畫工白加。
現代語訳
この年(崇峻天皇即位1年)。百済国が使者と合わせて僧の恵総(エソウ)・令斤(リョウコン)・恵寔(エショク)たちを派遣して仏舎利(ホトケノシャリ=仏陀の遺骨)を献上しました。百済国は恩率首信(オンソチスシン)・徳率蓋文(トクソチコウモン)・那率福富味身(ナソチフクフミシン)たちを派遣して調(ミツキ=税)を献上し、仏舎利と僧の聆照律師(リョウソリツシ)・令威(リョウイ)・恵衆(エシュ)・恵宿(エシュク)・道厳(ドウドン)・令開(リョウケ)たちと、寺工(テラタクミ)の太良未太(ダラミダ)・文賈古子(モンケコシ)・鑪盤博士(ロバンノハカセ)の将徳白昧淳(ショウトクハクマイジュン)・瓦博士(カワラノハカセ)の麻奈文奴(マナモンヌ)・陽貴文(ヨウキモン)・㥄貴文(リョウキモン)・昔麻帝弥(シャクマタイミ)・画工白加(エカキビャクガ)を献上しました。
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解説
で百済に仏教の知識を求めた結果、百済から僧と寺作りに必要は技術者がやって来ました。この後、尼たちは百済へと出発することになります。
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