飛鳥衣縫造の祖先の樹葉の家を壊して法興寺を建てる

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崇峻天皇(十二)飛鳥衣縫造の祖先の樹葉の家を壊して法興寺を建てる

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原文

蘇我馬子宿禰、請百濟僧等、問受戒之法、以善信尼等付百濟国使恩率首信等、發遣學問。壤飛鳥衣縫造祖樹葉之家、始作法興寺、此地名飛鳥眞神原、亦名飛鳥苫田。是年也、太歲戊申。

現代語訳

蘇我馬子宿禰は百済の僧たちに請願し、戒(イ)むことを受ける法(ノリ)を問いました。善信尼たちを百済の使者の恩率首信(オンソチスシン)たちに授けて、学問のために出発させ派遣しました。飛鳥衣縫造(アスカノキヌヌイノミヤツコ)の祖先の樹葉(コノハ)の家を壊して、初めて法興寺(ホウコウジ=飛鳥寺)を作りました。この土地を飛鳥の真神原(マカミノハラ)と名付けました。または飛鳥の苫田(トマタ)と名付けました。この年は太歲戊申です。
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解説

真神原
仏教を取り入れることになって、飛鳥の衣縫造の祖先の樹葉の家を壊して法興寺を立てました。衣縫造というのは服を縫う技術者の家系のことです。服はどこの古代社会でも大事なものでした。服によって階級が表されたからです。綺麗や立派な服を作ることができる技術者は珍重されたわけです。

その衣縫造の家を取り壊して、法興寺を立て、その土地を「真神原」と名付ける。この「真神」というのが、「古来の神のことを名前だけでも残す」という意味なのか、それとも「仏こそが、真の神だ!」という意味なのか・・・、そこのところはわかりません。多分、前者でしょうね。
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