吉野首(ヨシノノオビト)

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吉野首

漢字・読みヨシノノオビト
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吉野首(ヨシノノオビト)

吉野首(ヨシノノオビト)は吉野の周辺の氏族
古事記、日本書紀のどちらでも「イヒカ」という神の子孫とされる。
イヒカ神武天皇の東征の途中で登場してます。
吉野首という名称は、神武天皇の時代に登場した後には、天武天皇の時代まで登場しません。これは「オビト」という地位の名前が天武天皇の時代に制定したからでしょう。一方で「吉野」という地名は応神天皇の時代でも見られますし、

雄略天皇も「吉野宮」に行幸しています。

他にも欽明天皇は吉野に日本最初の……歴史書にある限りの話ですが……寺を残しています。

その後は斉明天皇・天武天皇・持統天皇のところには頻出しています。
これは吉野に寺があり、「出家」となると吉野というのが通例だったせいもあります。また天武天皇が壬申の乱で勝利する一つのきっかけが「吉野の出家」です。持統天皇はその天武天皇の威光を借りるため吉野行幸をしたとされるので吉野が頻出してます。
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物語・由来

「吉野」という土地は特別で、見逃せない何かがあったんでしょう。それで「吉野首」は神武東征という早い段階で登場することになった。最初に寺が建てられたのも理由にあるのかもしれませんが、なぜそもそも最初の寺が「吉野」だったんでしょうか。吉野には何か秘密があると思うのですが、よく分かりません。

古事記からの引用

国津神のヰヒカ
イワレビコ
その光に「あなたは誰ですか?」と聞きました。
すると
「わたしは国津神です。
名前は井氷鹿(ヰヒカ・イヒカ)といいます」
と答えました。
イヒカは吉野首(ヨシノノオビト)たちの祖先です。
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日本書紀からの引用

秋八月甲午朔乙未(三)吉野の先住民
天皇は聞きました。
「お前は誰だ?」
答えました。
「わたしは国神(クニツカミ)です。
名前を井光(イヒカ)といいます」
この人物が吉野首(ヨシノノオビト)などの始祖です。


天武天皇(百五)38氏に連姓を与える
(即位12年)冬10月5日。三宅吉士(ミヤケノキシ)・草壁吉士(クサカベノキシ)・伯耆造(ハハキノミヤツコ)・船史(フネノフビト)・壱伎史(イキノフビト)・娑羅々馬飼造(サララノウマカイノミヤツコ)・菟野馬飼造(ウノノウマカイノミヤツコ)・吉野首(ヨシノノオビト)・紀酒人直(キノサカヒトノアタイ)・采女造(ウネメノミヤツコ)・阿直史(アトキノフビト)・高市県主(タケチノアガタヌシ)・磯城県主(シキノアガタヌシ)・鏡作造(カガミツクリノミヤツコ)、14氏に姓(カバネ)を与えて連(ムラジ)と言うようになりました。
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