橿の生に 横臼を作り

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応神天皇(十三)橿の生に 横臼を作り

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原文

十九年冬十月戊戌朔、幸吉野宮。時国樔人來朝之、因以醴酒獻于天皇而歌之曰、

伽辭能輔珥 豫區周塢菟區利 豫區周珥 伽綿蘆淤朋瀰枳 宇摩羅珥 枳虛之茂知塢勢 磨呂俄智

歌之既訖、則打口以仰咲。今国樔、獻土毛之日、歌訖卽擊口仰咲者、蓋上古之遣則也。夫国樔者、其爲人甚淳朴也、毎取山菓食、亦煮蝦蟆爲上味、名曰毛瀰。其土、自京東南之、隔山而居于吉野河上、峯嶮谷深、道路狹巘。故雖不遠於京、本希朝來、然自此之後、屢參赴以獻土毛。其土毛者、栗・菌及年魚之類焉。

現代語訳

即位19年冬10月1日。応神天皇は吉野宮(ヨシノノミヤ=奈良県吉野郡吉野町)に行きました。そのとき、国樔人(クズヒト)が来ました。醴酒(コザケ)を天皇に献上して歌いました。
橿(カシ)の生(フ)に 横臼(ヨクス)を作り
横臼(ヨクス)に 醸(カ)める大御酒(オオミキ)
うらまに 聞こし持ち食(オ)せ まろが父(チ)

歌の訳樫(=樹木の名前)の生える林で横臼(=平たい臼)を作って、その横臼で作ったお酒をおいしく飲みましょう。わが父(=天皇を指す)よ

歌が終わって、すぐに口を打って、仰け反って笑いました。国樔(クズヒト)が土毛(クニツモノ=お土産)を献上する日に歌が終わってすぐに口を撃って仰け反って笑うのは、上古(イニシエ)からのやり方です。国樔(クズヒト)は人となりは、とても素直でした。いつも山の木の実を取って食べ、カエルを煮て美味しく食べていました。これを名付けて毛瀰(モミ)といいます。その土地は京(ミヤコ=ここでは大和)から東南、山を隔てて吉野河(ヨシノノカワ)の上にあります。峯は険しく、谷は深く、道は狭くて高いところにあります。それで京から遠くないといっても、そもそも朝廷に来ることが稀(マレ)でした。しかし、これ以降、しばしば朝廷に来て土毛(クニツモノ)を献上しました。その土毛は栗・菌(タケ)と年魚(アユ)の類です。
古事記の対応箇所
吉野の白梼上に横臼を作りて
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解説

国巣
国栖(クズ=国巣=国樔)というと古事記の神武東征で「吉野国巣の祖先」、古事記の応神天皇で「国栖の歌」に登場しています。

異民族の一族。土蜘蛛の一種とされることもありますが、国栖=土蜘蛛とする記述は無い、と思う(今後わかり次第追記します)。描かれ方には悪意が無いので、関係は良好だったようです。奈良県吉野郡吉野の浄見原神社には「国栖奏」という国栖に関する神事があります。
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