東征の前に日本武尊は伊勢神宮へ

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景行天皇(三十一)東征の前に日本武尊は伊勢神宮へ

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原文

冬十月壬子朔癸丑、日本武尊發路之。戊午、抂道拜伊勢神宮、仍辭于倭姫命曰「今被天皇之命而東征將誅諸叛者、故辭之。」於是、倭姫命取草薙劒、授日本武尊曰「愼之。莫怠也。」

現代語訳

(即位40年)冬10月2日。日本武尊(ヤマトタケルミコト)は発路(ミチダチ)しました。
10月7日。寄り道して伊勢神宮(イセノカミノミヤ)を参拝しました。それで倭姫命(ヤマトヒメミコト)に会って言いました。
「今の天皇から命を受けて、東に行って諸々の叛くものを討つことになっています。だから之を辞したい
それで倭姫命は草薙剣(クサナギノツルギ)を取って、日本武尊に授けて言いました。
「慎みなさい。
怠ってはいけません(油断してはいけません)」
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解説

伊勢の力を借りる
古事記では「伊勢の倭姫」から衣装を借りて、女装して宴会に忍び込み、クマソタケルを殺害。日本書紀では倭姫から衣装を借りる描写はありませんでした。

転じて東征では古事記でも日本書紀でも伊勢神宮の倭姫のサポートがあります。これは大和朝廷と伊勢神宮が密接な関係にあったという意味でしょう。

伊勢は「神風の」という枕詞がつくように「海路」として発達したようです。おそらく伊勢は西国(=吉備と九州)と東国をつなぐ貿易都市だったのではないでしょうか。伊勢は主に東国向けの貿易都市だった。そして西向けの貿易都市が大阪(河内・泉)だった。その中間にあった大和が発展したのは当然でしょう。
故辭之
「だから之を辞める」とヤマトタケルは発言しています。文章から言えば、東征を辞めたいという意味に思えます。当時は東国はかなりヤバイ土地だったのではないでしょうか。
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