諸縣君泉媛

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景行天皇(十六)諸縣君泉媛

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原文

十八年春三月、天皇將向京、以巡狩筑紫国。始到夷守、是時、於石瀬河邊人衆聚集、於是天皇遙望之、詔左右曰「其集者何人也、若賊乎。」乃遣兄夷守・弟夷守二人令覩。乃弟夷守、還來而諮之曰「諸縣君泉媛、依獻大御食而其族會之。」

現代語訳

即位18年春3月に天皇は京(ミヤコ)に向かおうとして、筑紫国(ツクシノクニ)の巡狩(マグリミソナオ=天皇が諸国を巡って政治の実情を視察すること)しました。最初に夷守(ヒナモリ=地名・日向国夷守駅=現在の宮崎県小林市)に到着しました。この時に、石瀬河(イワセノカワ=小林市の岩瀬川)のほとりに人が集まっていました。そこで天皇はその様子を遠くから見て、左右(モトコヒト=側の人)に言いました。
「あの集まってる人はなんだ?
もしかして賊(アタ)か?」
そこで兄夷守(エヒナモリ)と弟夷守(オトヒナモリ)の二人を派遣して視察させました。すぐに弟夷守(オトヒナモリ)が帰ってきて言いました。
「諸縣君(モロカタノキミ=諸県は地名)の泉媛(イズミヒメ)が大御食(オオミアエ)を奉ろうとしていて、その一族が集まっているようです」
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解説

日本人は神様に「食事」を奉ります。食事といっても、「収穫物」ではありません。ちゃんとした料理です。おいしい料理を神に捧げるということは、おいしい料理を食べた神様が、「おいしいなぁ」と感動して、機嫌が良くなって、天変地異を起こさず、いい感じに季節が巡って収穫が増えるということです。だから単に料理ができるかどうかではなく、「おいしい」が大事です。それが現在の日本の「味のこだわり」の理由でもあるのだと思います。

これは推測ですが、料理が上手いことが「良い巫女」の条件だったのではないかと思うのです。当時は氏族が神を祀っていましたから、その娘である姫は「料理が上手いかどうか」がこの地域の発展を握っているのです。

そりゃ一族が集まって、ああでもない、こうでもないと騒いでいてもしょうがないでしょう。
諸県の君
諸県は日向の西部の地名で延喜式にも「諸県」という名前が観られます。また応神天皇のところにも「諸県」の名前があり、諸県の姫が妃に嫁いでいるところを見ると、大和朝廷にそれなりに影響力のあった部族だったと考えられます。雅楽に「諸県舞」とうのがあり、どうやらこの「諸県」の舞踊だったよう。ということは、登場回数は少なくとも文化的にも影響力があったよう。
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