不孝をひどく憎み誅殺

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景行天皇(十三)不孝をひどく憎み誅殺

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原文

於是、示幣欺其二女而納幕下。天皇則通市乾鹿文而陽寵、時市乾鹿文奏于天皇曰「無愁熊襲之不服。妾有良謀、卽令從一二兵於己。」而返家、以多設醇酒令飲己父、乃醉而寐之。市乾鹿文、密斷父弦、爰從兵一人進殺熊襲梟帥。天皇、則惡其不孝之甚而誅市乾鹿文、仍以弟市鹿文賜於火国造。

現代語訳

それで幣(マヒナヒ=宝物)をその二人の娘に示してその二人の娘を欺いて幕下(オモト=戦争地での妃がいる場所・後宮)に迎え入れました。天皇はすぐに姉の市乾鹿文(イチフカヤ)を呼び寄せて偽って寵愛しました。その時に市乾鹿文(イチフカヤ)は天皇に言いました。
「熊襲が従わないことを愁(ウレ)わないでください。わたしめに良い策略があります。すぐに1、2人の兵(ツワモノ)をわたしに従わせてください」
それで市乾鹿文は家に帰って、非常に醇(カラ=辛い=アルコールが強い)い酒を用意して、自ら父に飲ませました。すぐに酔っ払って寝てしまいました。市乾鹿文は密かに父の弓の弦を切ってしまいました。ここに従えてきた兵の一人が進んできて熊襲梟師(クマソタケル)を殺してしまいました。

天皇はその不孝(オヤニシタガワヌコト)の酷い様子を憎み、市乾鹿文を誅殺してしまいました。それで妹の市鹿文(イチカヤ)は火国造(ヒノクニノミヤツコ)に与えました。
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解説

価値観は儒教
二人の娘を騙して、味方に迎え入れ、そして父親を殺させました。すると、「父親殺し」という「不孝」を憎み、姉を殺してしまいます。妹は火国造に与えました。

どうも嘘をついて騙している天皇が、父親殺しの「不孝」を批判するのはどうも腑に落ちない人が多いのではないかと思います。問題は「不孝」です。

孝というのは儒教の考えです。儒教では「あなたがこの世に存在するのはなぜか?それは父親がいるからだ」という考えを持っています。父親が存在理由になるから父親を敬う必要があります。だから「父親殺し」は「不孝」です。絶対やっちゃダメなことなんです。自分の存在理由を自らが殺すことは非常に不道徳なわけです。

どうも崇神天皇から「儒教」の影響が垣間見えます。それ以前の神武天皇ではほとんど見られません。だから神武天皇の記述は「史実」かどうかはともかく、記述自体は実際に古いものではないかと思っています。

それはともかく。
ほんとは母親じゃないか?
景行天皇が九州に来てからというもの、どうも「首領」は女というケースが多い。全部の土蜘蛛が「女首領」とは限りませんが、この市乾鹿文・市鹿文の姉妹の「父親」というのは史実ではなく、実際は母親だったんじゃないかと思います。だから妹の市鹿文は火国造を任じられたのでしょう。つまり九州では「女系家族」の集団が多かった、女系家族が一般的だった、だから実際には妹の市鹿文は国造を任じられたのじゃないかとも個人的に思います。
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