八代県の豊村の不知火

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景行天皇(十八)八代県の豊村の不知火

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原文

五月壬辰朔、從葦北發船到火国。於是日沒也、夜冥不知著岸。遙視火光、天皇詔挾杪者曰「直指火處。」因指火往之、卽得著岸。天皇問其火光之處曰「何謂邑也。」国人對曰「是八代縣豊村。」亦尋其火「是誰人之火也。」然不得主、茲知非人火。故名其国曰火国也。

現代語訳

(即位18年)5月1日。葦北(アシキタ)から発船(フナダチ=船で出発すること)して、火国(ヒノクニ)に到着しました。そこで日が暮れました。夜になり冥(クラク)なって岸に着きたいのですが、岸がどこにあるのかも分かりません。すると、遠くに火の光が見えました。天皇は挾杪者(カジトリ=舵取り)にいいました。
「まっすぐに火のところを目指せ」
それで火を目指していきました。すぐに岸にたどり着きました。天皇はその火の光る場所を問いました。
「なんという邑(ムラ)だ?」
その国の人が答えました。
「ここは八代県(ヤシロノアガタ)の豊村(トヨノムラ)です」
またその火のことを天皇は問いました。
「これは誰の火だ?」
しかし、火の主はいませんでした。
それで、その火が人が起こした火ではないと知りました。そこでその国を火国(ヒノクニ)と名付けました。
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解説

前回の「景行天皇(十七)兄熊と弟熊、水嶋の崖の泉」で
11日。海路(ウミツジ)から葦北(アシキタ=肥後国葦北郡=現在の熊本県葦北郡・水俣市あたり)の小嶋に泊まって、食事をしました。

とあるので、その完全な続きです。
今回もまた地名説話です。

熊本あたりのことを「火国」と呼ぶようになったのは、夜に船で移動していて全然見えないから困っていたら、明かりが見えて、そちらに向かっていくと岸にたどり着いた。その火は「人が起こした火」ではなく、霊的なものだった。だから「ヒノクニ」と名付けたよ、ってことです。

その一方で、ヒノクニは「肥国」とも書き、これは「土地が肥えている」からだ、という説や、火国でも、阿蘇山などの火山があるから火国なんだという説もあります。日本人はダジャレが好きなので、おそらく「両方を掛けている」のではないか?というのが個人的な意見です。wコロンの根津っちみたいな。
もう一つの説話
肥後風土記逸文には崇神天皇のときに肥君などの肥国建国に関わったものたちが肥後国益城郡の土蜘蛛を討ち、八代郡白髪山で不知火を見て、それを天皇に伝えたところ、その国を「火の国」と命名されたというお話が残っています。

というと「火」が関わっていることは間違いない。ではなぜ「火」が「肥」になったのか?

個人的に想像するに、不知火というのは「ヒトダマ(火の玉)」だったのではないでしょうか? ヒトダマというのはリンが発火する現象だと大槻教授が証明しました。リンというのは植物が育つ上で必須の成分で、リンがないと花が咲かず、花が咲かないということは実らないのです。そのリンが多く含まれた肥えた土地だったから、不知火(シラヌイ)が飛ぶ現象がたびたび見られた。だから「火の国」であり「肥の国」でもあるんじゃないか?と。
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