信濃の白い鹿を蒜で殺す

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景行天皇(三十七)信濃の白い鹿を蒜で殺す

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原文

則日本武尊、進入信濃。是国也、山高谷幽、翠嶺萬重、人倚杖難升、巖嶮磴紆、長峯數千、馬頓轡而不進。然日本武尊、披烟凌霧、遙俓大山。既逮于峯而飢之、食於山中。山神、令苦王、以化白鹿、立於王前。王異之、以一箇蒜彈白鹿、則中眼而殺之。爰王忽失道、不知所出。時白狗自來、有導王之狀、隨狗而行之、得出美濃。吉備武彦、自越出而遇之。先是、度信濃坂者、多得神氣、以瘼臥。但從殺白鹿之後、踰是山者、嚼蒜塗人及牛馬、自不中神氣也。

現代語訳

日本武尊(ヤマトタケル)は信濃(シナノ)へと進入しました。この国は山高く谷幽(タニフカシ)。翠(アオ)い嶺(タケ)が「万」も重なっています。人が杖を使っても登ることができません。巌(イワ)が険しいので、石の坂道を巡らしていて、長い峰は数千(チジアマリ)あり、馬は頓轡(ナズミ=立ち止まって)して進まない。日本武尊は烟(ケブリ=煙)を分け、霧を凌いで、はるかに大山(ミタケ)を渡りました。そうして峯に至って、疲れました。山の中で食事をしました。すると山の神が王(=ヤマトタケル)を苦しめようとして、白いしかになって王の前に立ちました。王は怪しいと思って、一つの蒜(ヒル=野蒜か臭いのある植物、ニンニクと言われる。臭いに厄除けの能力)を白い鹿に弾き飛ばしました。すると目に当たって(山の神が化けた白い鹿を)殺してしまいました。
すると王はたちまち道に迷って、出る場所がわからなくなりました。すると白い狗(イヌ)が自ずからやって来て、王を導こうとする様子がありました。それ犬に随(シタガ)って行くと、美濃に出ることができました。

吉備武彦(キビノタケヒコ)は越から出て(日本武尊と)出会いました。これ以前は、信濃坂(シナノノサカ=現在の長野県下伊那郡那智村と木曽郡山口村の境の富士見台)を渡る人の多くが神の息を浴びて、体調を崩して伏せっていましたが、白い鹿を殺してからは、この山を越える者は蒜(ヒル)を噛んで、人と牛馬に塗るようになりました。すると自然と神の息に当たらなくなります。
古事記の対応箇所
足柄山の白い鹿
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解説

古事記では足柄山の物語に
これが信濃(長野県)との境での物語なのか、古事記に書かれているように富士山にほど近い静岡と神奈川の境の足柄山のことなのか? それはなんとも。近いっちゃ近いような気がしないでもないような。

ともかくヤマトタケルによって、人を困らせる山の神は倒され、ニンニク(蒜)を体に塗ることで、山越えが可能になりました。これはヤマトタケルか、別の人物か、それはともかく、「道の整備」を神話にしたのではないか?と思います。
道を整備したから、山越えができるようになった。それがヤマトタケルや大和朝廷の功績かはわかりませんが、そういう史実が神話になったのではないかと。

蒜(ニンニク)は滋養強壮に効果があり、肉食禁止の「寺」でもニンニクだけは滋養が効きすぎるので食べるのを禁止しているほどです。また臭いが厄除けになるという考えもありますから、この両方の効果で山越えの確率がアップし、流通が発達、その結果、国が発展した。こんな手柄を書き残さないわけにはいかない、ということです。
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