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景行天皇(三十八)イブキヤマの主神の大蛇
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日本武尊、更還於尾張、卽娶尾張氏之女宮簀媛、而淹留踰月。於是、聞近江五十葺山有荒神、卽解劒置於宮簀媛家、而徒行之。至膽吹山、山神、化大蛇當道。爰日本武尊、不知主神化蛇之謂「是大蛇必荒神之使也。既得殺主神、其使者豈足求乎。」因跨蛇猶行。時山神之興雲零氷、峯霧谷曀、無復可行之路、乃捷遑不知其所跋渉。然凌霧强行、方僅得出、猶失意如醉。因居山下之泉側、乃飲其水而醒之、故號其泉、曰居醒泉也。日本武尊於是、始有痛身、然稍起之、還於尾張。爰不入宮簀媛之家、便移伊勢而到尾津。
現代語訳
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)はまた尾張(オワリ)に帰ってきて、すぐに尾張氏(オワリノウジ)の娘の宮簀媛(ミヤスヒメ)を娶って、しばらくの間、留まって何ヶ月か経ちました。近江(オウミ)の五十葺山(イブキヤマ)に荒ぶる神がいると聞いて、剣を抜いて宮簀媛(ミヤスヒメ)の家に置いて、徒手(剣を持たないで)で出かけました。膽吹山(イブキヤマ)に到着すると山の神が大蛇(オロチ)に化けて道を塞ぎました。日本武尊は主神(カムサネ=神の正体)が蛇(オロチ)と化けているのを知らないで
「この大蛇は間違いなく荒ぶる神の使者だ。
主神(カムザネ)を殺せれば、その使者をどうして(殺そうと)求めるに足るだろうか?(殺す必要はない)」
それで蛇を跨いで、なお進みました。
その時、山の神は雲を起こして氷を降らせました。峰には霧がかかり、谷は暗くなり、どこに向かえばいいか道も分からなくなった。彷徨ってあちこち行きましたが、どこを通ったかも分かりません。それでも霧を凌いで、強引に進みました。するとようやっと抜けることが出来ました。ですが、心は惑い、酔っているようでした。そこで山の下の泉のそばで、その水を飲むと(酔いが)覚めました。それでその泉を居醒泉(イサメガル)といいます。
日本武尊はこの辺りから、痛身(ナヤミマスコト)がありました。しかし、ようやく立ち、尾張へ帰りました。しかし、宮簀媛の家には入らず、代わりに伊勢に行って、尾津(オツ=現在の三重県桑名郡多度町戸津?)に到着しました。
古事記の対応箇所
月経の血がスソに
息吹山の神を素手で殺す
玉倉部の清水
尾津前の一松
「この大蛇は間違いなく荒ぶる神の使者だ。
主神(カムザネ)を殺せれば、その使者をどうして(殺そうと)求めるに足るだろうか?(殺す必要はない)」
それで蛇を跨いで、なお進みました。
その時、山の神は雲を起こして氷を降らせました。峰には霧がかかり、谷は暗くなり、どこに向かえばいいか道も分からなくなった。彷徨ってあちこち行きましたが、どこを通ったかも分かりません。それでも霧を凌いで、強引に進みました。するとようやっと抜けることが出来ました。ですが、心は惑い、酔っているようでした。そこで山の下の泉のそばで、その水を飲むと(酔いが)覚めました。それでその泉を居醒泉(イサメガル)といいます。
日本武尊はこの辺りから、痛身(ナヤミマスコト)がありました。しかし、ようやく立ち、尾張へ帰りました。しかし、宮簀媛の家には入らず、代わりに伊勢に行って、尾津(オツ=現在の三重県桑名郡多度町戸津?)に到着しました。
古事記の対応箇所
月経の血がスソに
息吹山の神を素手で殺す
玉倉部の清水
尾津前の一松
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解説
山の神はイノシシか大蛇か
古事記では白くてデカイ猪が伊吹山の主として登場します。猪も山の神としてはベタなんでしょう。しかしそれが大蛇に変わっている。大蛇は「川」のうねりを表し、水神です。つまり農業神です。猪から大蛇に変わったというのは、「狩猟」→「農業」という変遷が影響しているのではないかな、とも。
山の戒め
ヤマトタケルは蛇や猪を見て、「あぁ、これは使者であって神ではない」と考えて、それが元で死んでしまいます。これはおそらくは「山の動物は神の使者」という価値観が元々はあったのですが、何か悪いことがあったときに、「実はあの動物は山の神、そのものだったんじゃないか?」と考えるようになり、「山の動物」=「山の神」そのものになったのでしょう。つまり、このヤマトタケルの伊吹山の神話は「山の動物をなめるなよ(だって神かもしれないから)」という戒めを神話にしたものを取り込んだと思います。これが日本人が肉食をしなくなった根っこだと推測します。
古事記では白くてデカイ猪が伊吹山の主として登場します。猪も山の神としてはベタなんでしょう。しかしそれが大蛇に変わっている。大蛇は「川」のうねりを表し、水神です。つまり農業神です。猪から大蛇に変わったというのは、「狩猟」→「農業」という変遷が影響しているのではないかな、とも。
山の戒め
ヤマトタケルは蛇や猪を見て、「あぁ、これは使者であって神ではない」と考えて、それが元で死んでしまいます。これはおそらくは「山の動物は神の使者」という価値観が元々はあったのですが、何か悪いことがあったときに、「実はあの動物は山の神、そのものだったんじゃないか?」と考えるようになり、「山の動物」=「山の神」そのものになったのでしょう。つまり、このヤマトタケルの伊吹山の神話は「山の動物をなめるなよ(だって神かもしれないから)」という戒めを神話にしたものを取り込んだと思います。これが日本人が肉食をしなくなった根っこだと推測します。
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- Page34 景行天皇(三十四)竹水門への入港
- Page35 景行天皇(三十五)新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
- Page36 景行天皇(三十六)東国の地名説話
- Page37 景行天皇(三十七)信濃の白い鹿を蒜で殺す
- Page38 景行天皇(三十八)イブキヤマの主神の大蛇
- Page39 景行天皇(三十九)尾張に直に向へる一つ松あはれ一つ松人にありせば衣着せましを太刀佩けましを
- Page40 景行天皇(四十)伊勢国の能褒野陵に葬りました
- Page41 景行天皇(四十一)白鳥陵に衣冠を葬る
- Page42 景行天皇(四十二)宴会に参加しない稚足彦尊と武内宿禰
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