月経の血がスソに

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月経の血がスソに

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原文

その国より科野国(シナノ)に越えて、すなはち科野の坂の神を言向けて、尾張国に還り来て、先の日に期りたまひし美夜受比売(ミヤズヒメ)の許に入りましき。ここに大御食(オホミケ)献りし時、その美夜受比売大御酒盞(オホミサカヅキ)を捧げて献りき。ここに美夜受比売、そのおすひの襴(スソ)に月経(ツキノサハリ)著きたり。かれ、その月経を見て、御歌よみたまはく、

現代文訳

信濃を越え、信濃の坂の神を平定し、尾張国へとヤマトタケルは帰ってきました。

先日結婚の約束をした美夜受比売(ミヤズヒメ)の元へと行きました。

そこで美夜受比売(ミヤズヒメ)はヤマトタケルへの食事を献上し、酒を酌みました。すると美夜受比売(ミヤズヒメ)の衣服のすそに月経の血がついていました。

ヤマトタケルはその月経の血を見て歌いました。
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解説

今度は信濃
ここでの信濃の坂は長野県下伊那郡と岐阜県恵那郡の間の坂のこととされる。
さてミヤズヒメとの結婚
古代日本では「婚」と書いて「まぐわう」と読んでいた。結婚はまぐわうことなんでしょうね。

ミヤズヒメは尾張国造の祖先とされます。彼女がヤマトタケルに食べ物と酒を差し出すのは尾張国造が行っていた天皇への儀式であり、同時に尾張国造が大和朝廷に屈したという事実でもあります。

これからミヤズヒメはヤマトタケルと結ばれますが、ヤマトタケルは死んでしまいます。ヤマトタケルの遺産である「クサナギの剣」は尾張の熱田神社で祀られます。

しかし当然、クサナギの剣は元々は天皇由来のものではなく尾張に昔からあったのです。熱田神社、クサナギの剣、三種の神器、ヤマトタケルとミヤズヒメと尾張国造……これらは物語の中で繋がっていますが、実は全く無関係なもの。これらを結びつけた大和朝廷の全国制覇の過程ということです。

個人的コラム

オオミケ
オオミケとは本来は神や天皇が食べるもの。ヤマトタケルは天皇ではありませんし、東征を終える前に死んでしまいます。またヤマトタケルの移動は「行き幸」と書かれています。これはヤマトタケルが天皇か、神か、それに近い存在だった可能性があるということです。

といってもヤマトタケルはどうやら伝承の寄せ集めっぽい。しかしヤマトタケルの存在はフィクションでも征伐の過程は嘘ではないよう。この物語がどの程度の事実と虚をない交ぜにしているのかは分かりません。

ただ「ヤマトタケル」という曖昧な名前の英雄が居て、それが氏族の間では有名だったんじゃないか?と思うのです。

あまりに有名でハブれなかった。もしくは、天皇の物語の中にはめ込まざるを得なかった。いや、天皇の身内にすることで天皇の権威を高めるという意図もあったでしょう。
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