弟橘比売命の歌

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弟橘比売命の歌

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原文

ここにその暴波(アラナミ)自らなぎて、御船得進みき。ここにその后歌曰ひたまはく、

さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中(ホナカ)に立ちて 問ひし君はも

とうたひたまひき。かれ、七日の後、その后の御櫛(ミクシ)海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき。

現代語訳

弟橘比売命が畳のイカダに乗ると、荒波は穏やかになって、ヤマトタケルの船は進むことが出来た。

そのとき弟橘比売命が歌った歌が
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中(ホナカ)に立ちて 問ひし君はも
歌の訳
相模の野原に燃える炎
その炎の中に立って私の安否を問うた夫よ

それから七日後。
弟橘比売命の櫛が海岸に流れ着きました。
ヤマトタケルはその櫛を手にとって、墓を作りました。
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解説

さねさしは枕詞
さねさしは相武に掛かる枕詞。大した意味はありません。
オトタチバナヒメとはいつ結ばれたの?
ここの話を読むと、「焼津の火攻め」のときにすでにオトタチバナヒメは妻だったことになります。ミヤズヒメと婚約したときにはどうだったのでしょうか?
物語の上では尾張のミヤズヒメとの婚約の後に焼津の火攻めですから、この間に結ばれたのか、はたまたそれ以前から后だったのか。
まぁ、入水という物語を差し込むために当てられたキャラクターかもしれません。
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