焼津の火攻め

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焼津の火攻め

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原文

かれ、ここに相武国(サガムノクニ)に到りましし時、その国造 詐りて白さく、「この野の中に大沼(オオヌマ)あり。この沼の中に住める神、いとちはやぶる神なり」とまをしき。ここにその神をみそなはしに、その野に入りましき。ここにその国造、火をその野に著けき。かれ、欺かえぬと知らして、その姨 倭比売命ヤマトヒメミコト)の給ひし嚢の口を解き開けて見たまへば、火打(ヒウチ)その裏にあり。ここに先づその御刀もちて草を苅り撥ひ、その火打もちて火を打ち出でて、向火(ムカイビ)を著けて焼き退けて、還り出でて皆その国造(クニノミヤツコ)等を切り滅ぼし、すなはち火を著けて焼きたまひき。かれ、今に焼津(ヤキツ)と謂ふ。
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現代語訳

ヤマトタケルに相模国へ到着しました。
相模国造はヤマトタケルを騙して
「この野の中に大沼があります。
沼に住んでいる神は、乱暴な神です」
と言いました。

ヤマトタケルはその神を見ようと、野に入りました。

すると国造は野原に火をつけました。
ヤマトタケルは騙されたと悟りました。
叔母のヤマトヒメから貰った吹くるを開けてみました。
袋には火打石がありました。
そこでまずクサナギの剣で草を刈り、火打石で火をつけ、迎え火をして、火を退かせました。

ヤマトタケルは無事に火のついた野から脱出し、国造を切り殺しました。

それからその土地を「焼津」と言います。
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解説

ピンと来ない迎え火
お盆にやる迎え火とは何の関係も無いです。
ようは火事をより大きな火で向かえてしまうという方法。火がこっちに来る前に燃やしてしまいます。火事を鎮火させるために、古代ではよく使う方法だったのではないか?と推測。
オオクニヌシスサノオでも
オオクニヌシスセリヒメとの結婚の許しを得るためにスサノオから課せられた使命(というか嫌がらせ)の中にも「火攻め」がありました。オオクニヌシの場合は、地盤の中に空洞があってそこに逃げ込みました。
参考:鳴鏑とネズミ
火は成人儀礼か?農業儀式か?
オオクニヌシの件も、ヤマトタケルも、「使命」の中に火責めがあり、元々は成人儀礼か婚礼儀礼か何か風習を寓話にしたもの、かもしれません。
もう一つ、作物を育てた結果、虫が繁殖したり、肥料が枯渇するので、野焼きをすることで土地を綺麗にし豊かにする効果がある。野焼きは定期的に行っていた一般的な農業儀式のはずで、それを神話に取り込んだ可能性は高い。
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