美夜受比売(ミヤズヒメ)

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美夜受比売

投稿日時:2017-11-02 12:19:21
漢字・読みミヤズヒメ
別名宮簀媛
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美夜受比売(ミヤズヒメ)

まとめ
●古事記では美夜受比売、日本書紀では宮簀媛。
●尾張の女性。
ヤマトタケルの妃の一人だが、子供の名前はない。ただし古事記には「尾張国造の祖」とあるので子孫はいるはず。
ヤマトタケルは東国平定に向かう前に美夜受比売と会い、平定後に尾張で再開して結婚している。
ヤマトタケルは美夜受比売の衣服の裾に月経の血がついているのを見て歌を歌い、美夜受比売はその歌に歌を返している。
●美夜受比売の元に草薙剣を置いて伊吹山に登ったことが、ヤマトタケルの死の要因となっている。
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物語・由来

美夜受比売(ミヤズヒメ)は古事記に登場する人物名。日本書紀では宮簀媛(ミヤスヒメ)と表記される。ヤマトタケルの妃だが、子孫の名前は見られない。ただし、古事記によれば「尾張国造の祖」とあるので、子孫はいたと考えるべき。
女性。

出雲建雄神社の祭神の「出雲建雄神(=草薙剣の荒魂)」の縁起では「吾は尾張の氏の女が祭る神である。」とあり、この尾張の氏の女とは宮簀媛を指しているとされています。
おそらく美夜受比売は草薙剣を神として祀っていた人物の神格化というか、もしくは神そのものだと思われます。つまり、尾張では氏族のトップ…少なくとも宗教的なトップは女性であり、象徴的存在は女性だったわけです。女性がトップの組織は記紀神話の中ではチラホラと見られます。
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物語

ヤマトタケルとの出会い
東国遠征に向かうヤマトタケルは尾張で美夜受比売に会います。そこでは結婚の約束をしただけで、そのまま東国遠征に行き、平定後にまた尾張に立ち寄り、そこで美夜受比売と結ばれます。美夜受比売の衣服の裾に月経の血が付いていたことで歌を歌い、結婚しています。
ヤマトタケルは美夜受比売の元に草薙剣を置いて伊吹山に行き、死亡します。

草薙剣と美夜受比売
その草薙剣を祀ったのが熱田神宮で、草薙剣を持ち込んだのは美夜受比売とされます。尾張の氏族のトップの女性が熱田の創建に関わるというのは、ま、自然なことですよね。
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美夜受比売と草薙剣

美夜受比売と草薙剣は、ヤマトタケルによって結び付けられたのではなく、もともと結びついていて、ヤマトタケルと結びつくことによって大和朝廷に取り込まれたのでしょう。美夜受比売のお相手は、別の誰かで、ヤマトタケルとすり替わったと考えた方が自然なのかも。私は、その地域の「神」だったのではないかと思います。三輪系神話と同じで、神と巫女が結ばれた子供が生まれ、その子供が氏族のトップになったのではないかなと。

引用

古事記からの引用
ミヤズヒメとの婚約
ヤマトタケルは尾張の国へ入りました。
尾張国造の祖 美夜受比売(ミヤズヒメ)の家に入りました。
すぐに結婚しようと思ったのですが、東国を平定して帰ってきたときに結婚しようと思いました。
そこでミヤズヒメと結婚の約束だけして東国へ向かいました。
ことごとく山河のあらぶる神々と従わない人間達を平定しました。

月経の血がスソに
信濃を越え、信濃の坂の神を平定し、尾張国へとヤマトタケルは帰ってきました。
先日結婚の約束をした美夜受比売(ミヤズヒメ)の元へと行きました。
そこで美夜受比売(ミヤズヒメ)はヤマトタケルへの食事を献上し、酒を酌みました。すると美夜受比売(ミヤズヒメ)の衣服のすそに月経の血がついていました。
ヤマトタケルはその月経の血を見て歌いました。

美夜受比売の答え
美夜受比売(ミヤズヒメ)は歌に答えて言いました。

日の神の御子
わたしの大君よ
年が経てば
月も経るでしょう
いかにも いかにも
あなたを待ちきれずに
わたしの衣服の裾に月が立ちました

そして二人は結婚しました。
そしてヤマトタケルが持っていた草那芸剣(クサナギノツルギ)を美夜受比売(ミヤズヒメ)の元に置いておいて、息吹山の神を討ち取りに行きました。


日本書紀からの引用
景行天皇(三十八)イブキヤマの主神の大蛇
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)はまた尾張(オワリ)に帰ってきて、すぐに尾張氏(オワリノウジ)の娘の宮簀媛(ミヤスヒメ)を娶って、しばらくの間、留まって何ヶ月か経ちました。
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