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走水海
投稿日時:2017-11-04 21:26:40漢字・読み | ハシリミズノウミ |
別名 | 馳水 |
走水海(ハシリミズノウミ)
物語・由来
走水海(ハシリミズノウミ)は古事記に登場する地名。日本書紀では馳水(ハシルミズ)と記述される。比定される土地は「東京湾の浦賀水道」。
ヤマトタケルが東国へと遠征に行って海を渡るときに、船が前に進まなくなります。古事記では特に理由もなく海の神が意地悪したことになっているんですが、日本書紀ではヤマトタケルがその海を小馬鹿にするような発言をしたのが原因です。
船が進まなくなったことで、同行していた弟橘比売命が海に身を捧げて、怒りを鎮めたことで船は前に進みます。これでヤマトタケルは相模(=神奈川県)から上総(=現在の千葉県)に入ります。
●ただし当時の東京・千葉のあたりの地形は現在とは全く違う。
ヤマトタケルが東国へと遠征に行って海を渡るときに、船が前に進まなくなります。古事記では特に理由もなく海の神が意地悪したことになっているんですが、日本書紀ではヤマトタケルがその海を小馬鹿にするような発言をしたのが原因です。
船が進まなくなったことで、同行していた弟橘比売命が海に身を捧げて、怒りを鎮めたことで船は前に進みます。これでヤマトタケルは相模(=神奈川県)から上総(=現在の千葉県)に入ります。
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神話の意味
今だと神奈川から千葉へは陸路でもいいと思いますが、当時はこのあたりは湿地帯だし、かなり海岸線が入り組んだ土地でした。上総はそんな犠牲を払ってまで入国するべき土地だったようです。おそらく貿易の中継地だったのでしょう。はっきり言えば東北・関東の異民族との貿易ですね。当時の貿易は儲かるから、その航路を開拓して中央に利益をもたらした経緯がこのヤマトタケル神話の本質ではないかと思います。
引用
古事記からの引用
弟橘比売命の入水
日本書紀からの引用
景行天皇(三十三)馳水の地名説話
弟橘比売命の入水
それから走水海(ハシリミズノウミ)を渡ろうとしたときでした。
その海の神が波を起こして、船をグルグルまわして進めなくしてしまった。
そこで后の弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)が
「わたしが皇子(=ヤマトタケル)の代わりに海に身を投げましょう。皇子は東国を平定するという任務をどうか成し遂げて、大和にお帰りください」
と言いました。
その海の神が波を起こして、船をグルグルまわして進めなくしてしまった。
そこで后の弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)が
「わたしが皇子(=ヤマトタケル)の代わりに海に身を投げましょう。皇子は東国を平定するという任務をどうか成し遂げて、大和にお帰りください」
と言いました。
日本書紀からの引用
景行天皇(三十三)馳水の地名説話
「今、風邪が起き波が速くて、王船(ミフネ)が沈みそうになっています。これは必ず、海神(ワダツミ)の心(シワザ)です。願わくは賤(イヤ)しい妾(ヤッコ=私)の身を王の命に代えて海に入りましょう」
言葉が終わり、すぐに波を押し分けて入りました。暴風はすぐに泊まりました。船は岸に着きました。それでその時代の人はその海を馳水(ハシルミズ=現在の東京湾の浦賀水道)と呼んでいました。
言葉が終わり、すぐに波を押し分けて入りました。暴風はすぐに泊まりました。船は岸に着きました。それでその時代の人はその海を馳水(ハシルミズ=現在の東京湾の浦賀水道)と呼んでいました。
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