尾津前の一松

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尾津前の一松

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原文

尾津前(オツノサキ)の一松(ヒトツマツ)のもとに到りまししに、先に御食したまひし時、其地に忘れたまひし御刀、失せずてなほありき。ここに御歌うたひたまはく、

尾張(オハリ)に 直に向へる 尾津(オツ)の崎なる 一つ松 あせを 一つ松 人にありせば 大刀佩けましを 衣着せましを 一つ松 あせを

とうたひたまひき。

現代文訳

ヤマトタケルは尾津前(オツノサキ)の一松(ヒトツマツ)の元に到着しました。

息吹山に来る際に、ここで食事をしたのですが、そのとき忘れた刀がなくならずにそのまま、残っていました。

それでヤマトタケルが歌った歌が……

尾張国に向かって立つ尾津の崎の一つ松よ
一つ松が人間ならば、
刀を帯びさせてやろう
衣服を着せてやろう
一つ松よ
日本書紀の対応箇所
景行天皇(三十九)尾張に直に向へる一つ松あはれ一つ松人にありせば衣着せましを太刀佩けましを
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解説

尾津三重県桑名郡多度町のあたり。

古代は現在よりも海面が高く(5m高かったことも)、また現在平野になっている部分の堆積が出来ていないので、現在平野の部分は大抵は海。
あせを
ヤマトタケルの歌の部分にある「あせを」は「吾兄を」であり、直訳すると「我が兄よ」。この歌はどうやら「女」が「夫」を思って歌った歌で、「兄」というのは「夫」を指しています。古代の日本では、愛する妻のことを「妹」と呼んでいたので、その逆です。
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