高穴穂宮(タカアナホノミヤ)

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高穴穂宮

投稿日時:2018-03-02 22:25:51
漢字・読みタカアナホノミヤ
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高穴穂宮(タカアナホノミヤ)

高穴穂宮は成務天皇の宮として登場する土地。正確には「淡水の志賀の高穴穂宮」。現在の滋賀県大津市。成務天皇の父親である景行天皇が行幸(=移動)して滞在した場所で崩御(=死亡)しました。その場所が「高穴穂宮」。成務天皇景行天皇の宮を引き継いだと思われます。景行天皇は行幸というよりは「遷都」だったのかもしれない(というか、そう考えるべき)。

ややこしい話ですが古事記には景行天皇が高穴穂宮に行幸した記述はなく、日本書紀にしかない。古事記には成務天皇の宮として高穴穂宮が見られるが、日本書紀には成務天皇の宮の記述がない。

よく仲哀天皇も高穴穂宮を宮(=皇居)としていたという説があるが、記紀を見る限りはそんな記述はない(記述がないからないとは言えないが、そうだとも言えない)。
●仮に仲哀天皇も宮としていたならば、景行天皇・成務天皇・仲哀天皇の三代に渡って皇居としていたことになる。当時は天皇が変わると宮を立て替えて移動するものだったので、二代はともかく、三代はちょっとどうかと。

比定地
滋賀県大津市坂本穴太あのう町
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引用

古事記からの引用
若帯日子天皇は天下を治める
若帯日子天皇(ワカタラシヒコ=成務天皇)は近江の志賀の高穴穂宮(タカアナホノミヤ)で天下を治めました。


日本書紀からの引用
景行天皇(五十)田部屯倉を諸国に興す
即位58年の春2月11日。
近江国(オウミノクニ)に幸(イデマ)して、志賀(シガ=滋賀県滋賀郡)に三年滞在しました。(滞在した宮を)高穴穂宮(タカアナホノミヤ)といいます。
即位60年冬11月7日。
天皇は高穴穂宮で崩御しました。その時、106歳でした。
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