若帯日子天皇は天下を治める

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若帯日子天皇は天下を治める

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原文

若帯日子天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト)、近淡海(チカツアフミ)の志賀(シガ)の高穴穂宮(タカアナホノミヤ)に坐して天の下治らしめしき。この天皇穂積臣(ホヅミノオミ)等の祖 建忍山垂根(タケオシヤマタリネ)の女、名は弟財郎女(オトタカラノイラツメ)を娶して生みましし御子、和訶奴気王(ワカヌケノミコ)。一柱。

現代文訳

若帯日子天皇(ワカタラシヒコ=成務天皇)は近江の志賀の高穴穂宮(タカアナホノミヤ)で天下を治めました。

この成務天皇が穂積臣(ホヅミノオミ)等の祖先である建忍山垂根(タケオシヤマタリネ)の娘の弟財郎女(オトタカラノイラツメ)を娶って生んだ子が和訶奴気王(ワカヌケ)です。
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解説

成務天皇は短い。子供も少ない。掻くことがコレだけ少ないのは不思議なほど。成務天皇は実在しないというのが一般的な意見で、次のページで語られる政治上の功績も、後世に作られたと見られています。

高穴穂宮(タカアナホノミヤ)滋賀県大津市坂本穴太町。琵琶湖の南。

個人的コラム

なぜか雑な扱いを受ける天皇
古事記は天武天皇によって律令制を作る軽快のなかの一つで、天皇の血統を証明するものです。ヤマトタケルは確かに皇族だし、その子孫は天皇へとつながりますが、それならヤマトタケルを天皇にしてしまえばいい、と思います。

日本人は悲劇が好きで、悲劇があるからこそヤマトタケルの英雄像は際立つのかもしれませんが、志半ばで死んだとて、天皇という位に設定できないのは、妙です。

別の理由があるからではないか?と思います。ヤマトタケルは大和朝廷と敵対していたのかもしれません。いや、ヤマトタケルこそが正統な血統で、無視できなかったから、敵対していても、物語として取り込まなくてはいけなかったのかもしれません。

その矛盾のほころびが、ヤマトタケルの曾孫と景行天皇が結婚した、という記述に繋がったのではないでしょうか。

ヤマトタケルは親子ではない。
が、つながりはあった。
というか天皇側がつながりを望んだ。
というべきか。
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