大中比売命(オホナカツヒメ)

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大中比売命

投稿日時:2018-02-23 11:03:59
漢字・読みオホナカツヒメ
別名大中姫
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大中比売命(オホナカツヒメ)

まとめ
日本書紀では大中姫と表記される。
●古事記での父親は大江王大枝王)、母親は銀王。父も母も景行天皇の子供で大中比売命の血統は申し分なし。
●大中比売命と仲哀天皇の間に香坂王忍熊王が生まれる。
香坂王忍熊王神功皇后と敵対して敗北した。これはある種の王朝交代と見てもいいかも。

物語・由来

大中比売命(オホナカツヒメ)は古事記に登場する人物名。日本書紀では「大中姫」と記述される。父親は古事記では「大江王大枝王)」、日本書紀では彦人大兄(ヒコヒトノオオエ=仲哀天皇の叔父)。母親は古事記では「銀王(シロガネノミコ)」、日本書紀では母親の記述がない。
●古事記の大江王大枝王)と日本書紀の彦人大兄(ヒコヒトノオオエ)は同一人物と考えていいでしょう。

子供は古事記では「香坂王(カゴサカノミコ)・忍熊王(オシクマノミコ)」。
日本書紀では「麛坂皇子(カゴサカノミコ)・忍熊皇子(オシクマノミコ)」。漢字は違いますが、音が同じなので同一の記述と考えていいでしょう。

香坂王・忍熊王は神功皇后と敵対し滅ぼされる人物で、その母親である大中比売命の両親はどちらも景行天皇の皇子と皇女で、香坂王・忍熊王の母親は当然仲哀天皇。血統としては申し分がない。それが神功皇后に敗北するわけですから、一種の「王朝交代」と見ても問題はないと思います。

名前について
「大中」というのは、男、女(1)、女(2)と生まれたときの、「大=長女」で「中=生まれた順番が2番目もしくは真ん中」って意味だと思われます。なので記述はないですが、もう一人、子供(娘・大中比売から見て妹)がいたのではないかと。
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引用

古事記からの引用
迦具漏比売命から大中比売命へ
このオオエ王が腹違いの妹である銀王(シロガネ)を娶って生んだ子供が大名方王(オオナガタ)、大中比売命(オホナカツヒメ)です。
大中比売命(オホナカツヒメ)は香坂王(カゴサカノミコ)・忍熊王(オシクマノミコ)の母です。

穴門の豊浦、筑紫の訶志比宮
仲哀天皇は大江王(オオエ)の娘である大中津比売命(オオナカツヒメ)を娶って、香坂王(カゴサカノミコ)・忍熊王(オシクマノミコ)の2柱が生まれました。


日本書紀からの引用
仲哀天皇(四)皇后と妃とその子息
即位2年春1月11日。氣長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)を皇后としました。これ以前に叔父の彦人大兄(ヒコヒトノオオエ)の娘の大中姫(オオナカヒメ)を娶って妃としていました。麛坂皇子(カゴサカノミコ)・忍熊皇子(オシクマノミコ)を生みました。
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