神夏磯媛と鼻垂・耳垂・麻剥・土折猪折

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景行天皇(八)神夏磯媛と鼻垂・耳垂・麻剥・土折猪折

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原文

爰有女人、曰神夏磯媛、其徒衆甚多、一国之魁帥也。聆天皇之使者至、則拔磯津山之賢木、以上枝挂八握劒、中枝挂八咫鏡、下枝挂八尺瓊、亦素幡樹于船舳、參向而啓之曰「願無下兵。我之屬類、必不有違者、今將歸德矣。唯有殘賊者、一曰鼻垂、妄假名號、山谷響聚、屯結於菟狹川上。二曰耳垂、殘賊貧婪、屢略人民、是居於御木(木、此云開)川上。三曰麻剥、潛聚徒黨、居於高羽川上。四曰土折猪折、隱住於緑野川上、獨恃山川之險、以多掠人民。是四人也、其所據並要害之地、故各領眷屬、爲一處之長也。皆曰『不從皇命。』願急擊之。勿失。」於是、武諸木等、先誘麻剥之徒。仍賜赤衣・褌及種々奇物、兼令撝不服之三人。乃率己衆而參來、悉捕誅之。天皇遂幸筑紫、到豊前国長峽縣、興行宮而居、故號其處曰京也。
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現代語訳

そこには女がいました。名前を神夏磯媛(カムナツソヒメ)といいます。その徒衆(ヤカラ=部下)が多くいました。一国の魁帥(ヒトゴノカミ=首領)です。天皇の使者が来たと聞いて、すぐに磯津山(シツノヤマ)の賢木(サカキ)を取って、上の枝には八握劒(ヤツカノツルギ)を掛け、中段の枝には八咫鏡を掛け、下の枝には八尺瓊(ヤサカニ)を掛け、また素幡(シロハタ=白旗)を船の舳(ヘ)に立てて、(使者に)参り出て言いました。
「お願いですから、兵を下げてください。
わたしと属類(トモガラ=同種=仲間)は背きたいと思っているものはおりません。すぐに従いたい。ただ悪い賊者(ヤッコ)がいます。

一人は鼻垂(ハナタリ)といいます。
みだりに名号(ナ)を詐称して、山谷に騒がしく集まって、菟狹(ウサ)の川上にいます。

二人目は耳垂(ミミタリ)といいます。
倉庫の蓄えを奪い、貪り食い、しばしば人民をさらいます。これは御木(ミケ=豊前国上毛郡・下毛郡)の川上にいます。
木は開(ケ)と読みます。


三人目は麻剥(アサハギ)といいます。密かに徒党を集めて、高羽(タカハ=豊前国田河郡)の川上にいます。

四人目は土折猪折(ツチオチイオリ)といいます。緑野(ミドリノ)の川上に隠れて、一人で山川の険しいところで人民をさらいます。

この四人はその拠点が要所になっています。それぞれに眷属(ヤカラ=同族)によってその土地の長となっています。全員が『天皇の命には従わない』といっています。お願いですから、速やかに討伐してください」
そこで武諸木(タケモロキ)たちは、まず麻剥(アサハギ)の徒(トモガラ)を誘い出しました。そして赤い服や袴や種々の珍しいものを与えて、従わない3人を呼び寄せました。すると自ら仲間を率いてやってきました。それを全員とらえて誅殺しました。天皇はそれでついに筑紫に行き、豊前国(トヨノクニノミチノクチノクニ)の長狹県(ナガサノアガタ)に到着し、行宮(カリミヤ=旅先の仮の宮)を立ててそこに滞在しました。それで、その土地を「京(ミヤコ=福岡県京都郡)」といいます。
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解説

熊襲の女ボス!神夏磯媛
神夏磯媛(カムナツソヒメ)は女ながら、熊襲たちのリーダーです。女がリーダー!というのは、邪馬台国の卑弥呼など色々と連想しますが、どうやら日本は女系集団がたくさんあったようです。女系というのは集団の首領の権限を母から娘へと移動していく集団です。
記紀には皇室に嫁いだ娘には、その出自(両親の名前)が描かれます。その中には明らかに「女性名」しか書かれていない人物がいます。これは「女ボス」の集団がいたという証拠です。
ハナタリ・ミミタリ
鼻が鷲鼻になっているのか?それとも鼻水を垂らしているのか?そういうのはよく分かりません。
ツチオリイオリ
ツチオリイオリで「土」オリ「居」オリという意味ではないか?と思われる。土の上に座るという意味で、土の上に座るということは卑しいという意味ではないか??
あいかわらずやり方がエグい
やっかいな乱暴者の一人の「アサハギ」に、珍しいものを与えて、他の三人を呼び寄せ、四人を一網打尽。賢いといえば賢い。
赤い服や袴を渡すのは「赤」が聖なる色だったからです。
地名説話
「ミヤコ」という名前は景行天皇が宮を作ったから。というお話です。解説本には「ミヤコ」という地名がまずあって、後からのこじつけ、ということがよく書いてありますが、どうでしょうかね。
当然、熊襲も「京」を作っていたのでしょうから、「ミヤコ」が以前から地名として存在したというのはあり得るんですよね。だとすると、熊襲の言語と大和の言語は「ほぼ同じ」ということになります。まぁ、これは同じか。
ただ神武天皇はそもそも日向出身の(自然に考えるならば)隼人です。この九州に「ミヤコ」を移動させようと考えたとしてもおかしくない。日本は九州から文化が入ってくるのですから、大和はどう考えても「ど田舎」です。そのど田舎の大和が儒教と最新国家体制を整えて、九州に凱旋。錦を飾るというべき、ものかもしれないです。
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