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皇極天皇(十九)身狭臣の暴挙・赤心の少女
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曲從所議。中臣鎌子連、卽自往媒要訖。而長女、所期之夜、被偸於族。族謂身狹臣也。由是、倉山田臣憂惶、仰臥不知所爲。少女怪父憂色、就而問曰、憂悔何也。父陳其由。少女曰、願勿爲憂。以我奉進、亦復不晩。父便大悅、遂進其女。奉以赤心、更無所忌。中臣鎌子連、舉佐伯連子麻呂・葛城稚犬養連網田於中大兄曰、云々。
現代語訳
曲(ヒバヒラカ=詳細に)に計画したことに従いました。中臣鎌子連(ナカトミノカマコノムラジ)はすぐに自ら行って、仲人になって仲を取りもち終えました。しかし長女(エヒメ=蘇我倉山田麻呂の長女)は約束した夜に、族(ヤカラ)に盗まれました。
それで倉山田臣(クラヤマダノオミ)は憂い、申し訳なく思い、恐れ畏まって、仰いで伏して、どうしようも分かりませんでした。少女(オトヒメ)が父の憂いた顔色を怪しく思って、問うて言いました。
「憂い悔いていることは何ですか?」
父はその理由を述べました。少女(オトヒメ)は言いました。
「願わくば、落ち込まないでください。私を奉り、献上しても、遅くはないでしょう」
父はすぐに大いに喜んで、その娘を献上しました。支えると赤心(キヨキココロ=清らかで優しい心)で、それに忌むところ(=問題のあるところ)はありませんでした。中臣鎌子連は、佐伯連子麻呂(サエキノムラジコマロ)・葛城稚犬養連網田(カヅラキノワカイヌカイノムラジアミタ)を中大兄に推挙して言いました。云々。
族は身狭臣(ムサノオミ)と言います。
それで倉山田臣(クラヤマダノオミ)は憂い、申し訳なく思い、恐れ畏まって、仰いで伏して、どうしようも分かりませんでした。少女(オトヒメ)が父の憂いた顔色を怪しく思って、問うて言いました。
「憂い悔いていることは何ですか?」
父はその理由を述べました。少女(オトヒメ)は言いました。
「願わくば、落ち込まないでください。私を奉り、献上しても、遅くはないでしょう」
父はすぐに大いに喜んで、その娘を献上しました。支えると赤心(キヨキココロ=清らかで優しい心)で、それに忌むところ(=問題のあるところ)はありませんでした。中臣鎌子連は、佐伯連子麻呂(サエキノムラジコマロ)・葛城稚犬養連網田(カヅラキノワカイヌカイノムラジアミタ)を中大兄に推挙して言いました。云々。
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解説
中大兄とはのちの天智天皇です。天智天皇7年には天智天皇の妃に「蘇我山田石川麻呂大臣の娘の遠智娘」とあり、この遠智娘(オチノイラツメ)がここの少女(オトヒメ)ではないかと思われます。
族とは
ここで「族」と書いたのは、長女を襲ったのが「家族だったから」だと思われます。ここで身狭臣とされる人物は、蘇我倉山田麻呂の弟である「蘇我日向」と言われています。つまり蘇我倉山田麻呂は長女を、これからの権力者になるかもしれない中大兄皇子に献上する予定だったのに、その長女を、なんと弟である「蘇我日向」が奪ったと。これは落ち込んでしまって当然ですわ。
ちなみに「蘇我日向」はのちに蘇我倉山田麻呂を讒言(嘘の証言)で左遷させ、自殺に追い込みます。
族とは
ここで「族」と書いたのは、長女を襲ったのが「家族だったから」だと思われます。ここで身狭臣とされる人物は、蘇我倉山田麻呂の弟である「蘇我日向」と言われています。つまり蘇我倉山田麻呂は長女を、これからの権力者になるかもしれない中大兄皇子に献上する予定だったのに、その長女を、なんと弟である「蘇我日向」が奪ったと。これは落ち込んでしまって当然ですわ。
ちなみに「蘇我日向」はのちに蘇我倉山田麻呂を讒言(嘘の証言)で左遷させ、自殺に追い込みます。
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