皇極天皇(二十五)猿のうめき声は伊勢神宮の神の使者

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皇極天皇(二十五)猿のうめき声は伊勢神宮の神の使者

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原文

四年春正月。或於阜嶺、或於河邊、或於宮寺之間、遙見有物而聽猨吟。或一十許、或廿許。就而視之物便不見、尚聞鳴嘯之響、不能獲覩其身。(舊本云。是歲、移京於難波、而板蓋宮爲墟之兆也。)時人曰、此是伊勢大神之使也。

現代語訳

即位4年春1月。阜嶺(オカタケ=峰が続いているところ)や河辺や宮寺(ミヤテラ)の間を遥かに見るものがありました。そうして猿の吟(サマヨウオト=うめく声)が聞こえました。10回か20回か。行ってみると、物は何も見えないで、ただ鳴いて嘯(ウソムク=口をすぼめて音を出す)する音が響き聞こえていた。その身体を見ることが出来ないので、捕らえることは出来ませんでした。
旧本によると、この年、京を難波に移した。板蓋宮(イタフキノミヤ)が荒れて廃墟となる兆しと言います。

その時代の人は言いました。
「これはこれ、伊勢大神の使者だ」
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解説

板蓋宮(イタフキノミヤ)は皇極天皇が即位2年の4月28日に住み始めた宮です。難波に宮を移して、荒れるとあるのですが、「この年、難波に宮を移した」というのは次の孝徳天皇の時代に遷都したことを指しているとします。

伊勢神宮の使者
伊勢神宮が「未来の兆し」を伝えた、という考えがこの時代にあった。ということはこの時代にはすでに「伊勢神宮天皇の神」という感覚があったのではないかと。
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