皇極天皇(二十七)乙巳の変

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皇極天皇(二十七)乙巳の変

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原文

六月丁酉朔甲辰。中大兄、密謂倉山田麻呂臣曰、三韓進調之日必將使卿讀唱其表。遂陳欲斬入鹿之謀、麻呂臣奉許焉。戊申、天皇御大極殿、古人大兄侍焉。中臣鎌子連、知蘇我入鹿臣、爲人多疑、晝夜持劒。而教俳優、方便令解、入鹿臣、咲而解劒、入侍于座。倉山田麻呂臣、進而讀唱三韓表文。於是、中大兄、戒衞門府一時倶鏁十二通門、勿使往來、召聚衞門府於一所、將給祿。時中大兄、卽自執長槍、隱於殿側。中臣鎌子連等、持弓矢而爲助衞。使海犬養連勝麻呂、授箱中兩劒於佐伯連子麻呂與葛城稚犬養連網田、曰、努力努力、急須應斬。子麻呂等、以水送飯、恐而反吐、中臣鎌子連、嘖而使勵。倉山田麻呂臣、恐唱表文將盡而子麻呂等不來、流汗浹身、亂聲動手。鞍作臣、怪而問曰、何故掉戰。山田麻呂對曰、恐近天皇、不覺流汗。中大兄、見子麻呂等畏入鹿威便旋不進、曰、咄嗟。卽共子麻呂等出其不意、以劒傷割入鹿頭肩。入鹿驚起。子麻呂、運手揮劒、傷其一脚。入鹿、轉就御座、叩頭曰、當居嗣位天之子也、臣不知罪、乞垂審察。天皇大驚、詔中大兄曰、不知所作、有何事耶。中大兄、伏地奏曰、鞍作盡滅天宗將傾日位、豈以天孫代鞍作乎。(蘇我臣入鹿、更名鞍作)。天皇卽起、入於殿中。佐伯連子麻呂・稚犬養連網田、斬入鹿臣。
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現代語訳

(即位4年)6月8日。中大兄(ナカノオオエ)は密かに倉山田麻呂臣(クラヤマダノマロノオミ=蘇我倉山田麻呂臣)に語って言いました。
「三韓(ミツノカラヒト)の調(ミツキ=税)を献上する日に、必ず卿(イマシ=お前)にその表(フミ)を読唱させる」
それで入鹿(イルカ=蘇我入鹿)を斬ろうとする策を陳述しました。麻呂臣は許諾しました。
6月12日。天皇は太極殿(オオアンドノ)に居ました。古人大兄も居ました。中臣鎌子連(ナカトミノカマコノムラジ)は蘇我入鹿臣の人となりをとても疑っていて、昼も夜も剣を持っていると知り、俳優(ワザヒト=滑稽な動きで歌謡をする人)に教えて、方便を言って、剣を解かせました。入鹿臣は咲(ワラ)って剣を解きました。中に入って座(シキイ)に居ました。倉山田臣麻呂臣(クラヤマダノマロノオミ)は進んで三韓の表文(フミ)を読唱しました。すると中大兄(ナカノオオエ)は衞門府(ユケイノツカサ=門を守る部署)に戒め、一時的に12の通門を差し固めて、往来できないようにしました。衞門府(ユケイノツカサ)を一箇所に呼び寄せ集めて、禄(=褒美)を与えようとしました。その時、中大兄はすぐに自ら長い槍(ホコ)を取って、宮殿の側に隠れました。中臣鎌子連たちは、弓矢を持って、助け守りました。海犬養連勝麻呂(アマノイヌカイノムラジカツマロ)に、箱の中の二つの剣を佐伯連子麻呂(サエキノムラジコマロ)と葛城稚犬養連網田(カヅラキノワカイヌカイノムアラジアミタ)に授けさせて言いました。
「努力努力(ユメユメ)、あからさまに、あっという間にすぐに斬るのだ!」
子麻呂たちは水で飯をかき込みました。恐ろしくて、吐き出しました。中臣鎌子連は叱咤激励しました。倉山田麻呂臣は表文を読みおえようしていましたが、子麻呂たちが来ないのを恐れて、流れ出る汗が全身を濡らし、声が乱れて手がわななきました。鞍作臣(クラツクリノオミ=蘇我入鹿)は怪しく思って問いました。
「なぜ、震えてわなないているのか」
山田麻呂は答えて言いました。
「天皇に近づける恐れ多いことに、不覚にも汗が流れ出ているのです」
中大兄は、子麻呂たちが入鹿の勢いに恐れて、巡るばかりで進まないのを見て言いました。
「咄嗟(ヤア)!」
すぐに子麻呂たちと共に、不意に剣で入鹿の頭肩を傷つけ、割りました。入鹿は驚いて、立ちました。子麻呂は手で剣を拭いて、一つの足を傷つけました。入鹿は御座(オモト=天皇の元)へと転んでたどり着いて、頭を床に叩きつけて言いました。
「まさに嗣位(ヒツギノクライ=天皇位)に居るべきは天子です。私は罪を知らない。このようなことをするのは、何事があるというのですか!」
中大兄は地に伏して申し上げました。
「鞍作(クラツクリ=蘇我入鹿)は天宗(キミタチ)を全て滅ぼして、日位(ヒツギノクライ=天皇位)を傾けようとしているのです。どうして天孫(テンソン)が鞍作に代わるというのでしょうか」
蘇我臣入鹿は別名が鞍作といいます。

天皇はすぐに立って、宮殿の中に入りました。佐伯連子麻呂・稚犬養連網田は入鹿臣を斬りました。
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解説

俳優はすごいな
俳優はおちゃらけた面白い所作をすることで、楽しいことをする人。日本人は神をご機嫌にさせることで、世の中をうまく回すと思っていましたから、面白い所作をするってのは意味があったわけです。
その俳優の人が、蘇我入鹿に何かしらを言って、入鹿の剣を解かせたわけです。蘇我入鹿は「笑って」剣を解いたとあるので、ユニークなことを言ったのでしょう。どういうことかは分かりませんが。
佐伯連子麻呂と葛城稚犬養連網田
佐伯連子麻呂と葛城稚犬養連網田の二人が、殺す予定だったのが、勇気が出ずに、中大兄皇子が自ら剣で殺すことになりました。中大兄皇子が門の往来を止めた時には「槍」を持っていたのですが、中大兄皇子は剣を持って、入鹿を切りました。槍は「儀式用」だったのかも。まぁ、中臣鎌子が弓を持って守っていたとあるので、戦闘用だと考えた方が自然か。

当然ながら中大兄皇子は入鹿を殺す予定ではなかった。天皇は「清らか」であることが大事です。人を殺すという「罪の穢れ」と「死の穢れ」にまみれた中大兄皇子が天智天皇になるのは乙巳の変(645年)から23年後の668年です。この「殺人」が「即位」を遅らせたのではないか?と思います。
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